突然思い知る、こどもの成長。2017.4.19

 

 

新生活もようやく少しずつリズムがつかめてきた頃でしょうか。

みなさんいかがお過ごしですか?

 

 

うちも長男が幼稚園に入り、ガラリと生活が変わりました。

 

 

彼が出かけた後の家は

「しーん」という音が聞こえてきそうなくらい静かに感じて、

ちょっと寂しいくらいです。

 

 

でも、下の子は誰にも邪魔されない自分の時間が訪れて、

のびのびと楽しそうに遊んでいます。

 

 

こうしていい距離を保つのも、

それはそれで大事なのかもしれませんね。

 

 

そうそう、そういえば、昨日長男に

 

 

「おかーさん、〇〇はね、すーぱーおにいちゃんになったから、

今日からはもうねるときにぎゅーってしなくていいんだよ。

てをつなぐのはいいけどね」

 

 

なんて言われました。

 

 

うわー、こうやって子どもって離れていくのかー!!!

と衝撃でした(笑)

 

 

お母さんは、突然寝る前にハグ禁止令を出されてしまいました。

とほほ。

 

 

でも、「それは寂しいなぁ」と言ったら

「じゃぁ〇〇がおかーさんにぎゅーしてあげるよ」

とハグしてくれました(笑)

 

 

いつも当たり前のように繋いでいる手も、

撫でている頭も、

抱きしめている時のぬくもりも、

 

 

今だけの宝物。

 

 

横で寝ないと寝付かない、

抱っこしないと寝てくれない、

 

 

そんな日々さえも愛おしく思う日が来る。

 

 

これまでは周りからは言われていたし、

頭でもわかっていたけれど、

それを昨日は突然実感しました。

 

 

大切にしよう。今を。

 

 

幼稚園で覚えてきたという、調子外れの歌を楽しそうに歌う声。

すこしずつ、こうやって私の知らないことを知っていく。

自分の世界を広げていくんだね。

 

 

すました顔してハグ禁止例を出した後、

夜中にふと目覚めておかーさーんとくっついてきて、

まだちょっぴりこうして過ごす日々も残っているのかな?と

少し安心した私でした。

 

 

きっと、お兄ちゃんと赤ちゃんのはざまを行ったり来たり、

そうやって少しずつ、少しずつ、次の段階へと

足を踏み入れていくんでしょうね。

 

 

そんなどっちつかずのようなグレーが

昔は気持ち悪かったけれど、

今はそれもとても美しいなと思えるのは、

きっと歳を重ねた証なのだろうなと思います

 

 

今日も良い日を。

 

 

シンガーソングライター&ヒーラー

山口春奈

 

 

 

 


私にとって一番ありのままの世界 2017.4.12

 

 

こんにちは。

シンガーソングライター&ヒーラーの山口春奈です。

 

 

さっきふと、おばあちゃんの気配を近くに感じてカレンダーを見たら、

今日はおばあちゃんの命日でした。

 

 

私は実際に霊が見えたり聞こえたり、

そういう能力は全然ないんですが、「感じる」というのは

音楽をしているせいか比較的よくあります。

 

 

鼓膜には届かないけど聞こえる音、目には見えないけど見える色。

私の生活の中でそれを否定してしまったら、それはつまらない、

窮屈な人生だろうなぁと思います。

 

 

死んでしまった人も、そうでない人も、

共存しているのが私の中での現実で、

ただ肉体的な接触がないだけで、やっぱり心はつながっているように思います。

 

 

そういえばこの前、ライブが終わった後に、

女の子が小さな花束をくれて、その中にスイセンの花が入っていました。

 

 

この花は私にとって思い出の花で、

カナダに留学していた時、学校から帰ってきたら庭仕事をしていた

ホストマザーが最初に教えてくれた花の名前が、この「Daffodil(スイセン)」でした。

 

 

だから、この花に出会うと、私は亡くなったホストマザーを思い出すし、

思い出して、「I love you」と数秒心の中で彼女を思う時間、

私は確かに彼女と繋がっている気がします。

 

 

思い込みなのかもしれない。

思い込みでもいい。

 

 

なくても生きていける、どうでもいいような、

目には見えない、不思議なことも、

確かに私の人生を彩ってくれています。

 

 

音楽は、そんな目にみえるものと見えないものが

なんの隔たりもなく自由に共存できる、

私にとって、私が見ている一番ありのままの世界を

表現できるツールのような気がします。

 

 

今新しい一歩に向けて準備中。

おばあちゃん、見守っててね。

 

 

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「今」しかできないこと。 2017.4.4

 

先日、富山での2回目のライブ、

「Feel like at Home~春の歌声を聴きにおいでよ」を

シェアプレイスA-PORTさんで無事に終えることができました。

 

 

 

 

この日は主人も朝から仕事だったので、

子ども達にもリハから付き合ってもらい、

おんぶしながらリハをして、

本番直前までおままごとに付き合わされ、

本番後も帰ってからご飯の支度にお風呂に寝かしつけ、、、

たった一人でてんやわんやの1日でした(笑)

 

 

3月の初めに開催した「親子のための音楽会」とは

ガラリと趣向を変えて、でも自分の届けたいことはブラさずに。

 

 

正直、この1ヶ月はすごくすごく悩んだ1ヶ月でした。

自分が本当に伝えたいことってなんだろうって

改めてすごく考えさせられました。

 

 

はじめは、お母さんたちが自分一人でも来たいな、

そう思えるライブを子連れで気兼ねなく来てもらえたらな、と

思ってこの企画を始めました。

 

 

だから、あくまで主役はお母さんで、

お母さんに楽しんでもらいたい。

同時にお子さんたちも自由に同じ空間でいてもらえればいいなと

思っていました。

 

 

でも、「もっと子どもと一緒に歌う歌も入れてほしい」という声を

終わってからたくさんリクエストされました。

 

 

その時に、そうだ、お母さんの本当の喜びって、

子たち達の喜ぶ顔だったって気づいたんです。

 

 

そして、これまで自分の中に私は「うたのおねえさん」みたいな

子どもたちに向けた感じのコンサートはできない、

それは私じゃないよって、

つっぱねていたものがあることに気づきました。

 

 

でも、私はどうして歌を歌うんだろう?って

考えた時に、自分の歌を聴いてほしいから、というよりも、

聴く人に笑顔になってほしいから、という答えが

自分の中にあることに気づいて、

自分の中にある「照れ」をもう手放してもいいな、と

思えるようになりました。

 

 

だから今回の音楽会は子ども達にも思い切り笑顔になってもらおう、

そう思って用意してきました。

そして、同時にお母さんたちにも届けたい歌も歌いつつ、

とりあえず自分の今伝えたいことは全部詰め込みました。

 

 

そんなこんなで、数日経ち、

ようやく落ち着いて振り返りながら、

 

 

「あぁ、このライブを私は10年後にはできないな」と思いました。

 

 

10年後、あの日出会った子供達と同じ手遊びはもうできないし、

私も今子育ての真っ最中だからこそできたこの歌たちを

今の気持ちで歌うことはもうできない。

 

 

子ども達がまだ、おんぶに抱っこの手のかかる今だからこそ、

紡げる歌があって、お母さんたちに伝えたい思いがあって、

子どもたちと分かち合える時間がある。

それこそが本当に「今」しかないもの。

 

 

10年後も、同じ歌は歌えても、

もう現役の1歳や2歳児のお母さんではおそらくないであろうことを

考えると、もうきっと同じ心持ちでは歌えないと思います。

 

 

だから、こうして物語を読んだり、

手遊びをしたり、童謡を歌ったり、

今回思い切り子ども達が小さい「今」しかできないことを

たくさん詰め込んでよかったなぁと思いました。

 

 

来てくださったみなさんにも、

静かにしなさい!と怒ったり、ヒヤヒヤすることから

少し解放されて、

お子さんと一緒に楽しんでもらえていれば嬉しいなと思います。

 

 

子どもたちも一生懸命歌に合わせて身体を動かしてくれました!

 

 

デジュリドゥという、アボリジニの民族楽器。

インドのマントラに合わせて入れてもらいました。

 

 

手遊びは、本気でやると、大人も面白い。(笑)

 

 

 

 

なので、これからもこう言ったスタイルの親子のコンサートは

私が「あ、もう違うな、、、」と自分の気持ちがついていかなくなるまでは

できるだけ続けていきたいと思っています。

 

 

そして、一人でも多くのお母さんや子どもたちと、

今しか歌えない歌をたくさんみんなで歌いたいと思っています。

 

 

同時にいろいろな趣向のライブを今年は試してみながら、

自分が音楽を通して何をしていきたいのかっていうことを

もう少し具体的に自分自身と対話しながら突き詰めていきたいと思っています。

 

 

まずは来月いよいよレコーディングをして、

作品の仕上げにとりかかろうかなと思っています!!

作品が出来たら、これまでご縁のある場所にはできる限り

回りたいと思っています!

 

 

でもその前にまずは子どもの入園準備!!!

ミシンと格闘中です(笑)

 

 

富山の桜もあと数日でピンクの花びらを見せてくれそうです^^

みなさんもどうぞ素敵な春をお過ごしください。

 

 

それでは、また。

 

 

シンガーソングライター&ヒーラー

山口春奈

 

 


「〇〇くんのお母さん」という、世界でたった一つの職業 2017.3.27

 

 

先日、京都で久々に福岡に住んでいた頃の

友人家族に会いました。

 

 

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バスから降りてふと振り返ったとき、

子ども2人と手をつなぎながら

笑顔で歩く友人の笑顔が本当に素敵でした。

彼女が、彼らの母親であることに心から幸せを感じていて、

そんな彼女の幸せが、子どもたちをまるく、優しく包んでいました。

 

 

「〇〇くんのお母さん」

「〇〇ちゃんのお母さん」

「〇〇さんの奥さん」

 

 

結婚して、家庭に入ると

自分の名前を呼んでもらうことはうんと減ってしまいます。

 

 

けれど、子ども達の母親であること、

愛する人の奥さんであること、

それだって立派な自分「だけ」のオリジナルな役割だと思います。

 

 

彼女を見て、私も改めてもっと誇りを持とうと思いました。

彼らの母親であることに。

愛する人の妻であることに。

 

 

私は雑誌なんかに載っているような、

スマートで、おしゃれなお母さんなんかじゃないし、

もっと素敵なお母さんも周りを見ればたくさんいるけれど、

自分の子どもたちの「お母さん」は世界で自分だけ。

 

 

子ども達の「お母さん」という職業。

それはたとえ社会における肩書きとしての力を持たなくても、

自分の命が終わるときにキラリと光る確かな勲章。

 

 

私は、そんな勲章を胸に掲げている自分のことももっと認めていきたいと思うし、

 

お母さんたちの日々の奮闘に、これからも音楽を通して

少しでもエールを送れたらいいなと思います。

 

 

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大切なものを守る時は、両手を広げるといいんだよ。2017.3.23

 

 

最近、大切なものを守るときって、

かばうように、身をかがめていけばいくほど

それは逃げて行ってしまうものなんだなぁって思う。

 

 

大切なものっていっぱいある。

あれも、これも、手放したくないし、

心から大事にしたいって思ってる。

 

 

でも、神様はいじわるなのか、私が欲張りなのか(多分後者だ)

全部を抱えることを許してくれない。

 

 

「大切」という言葉を見ると

「切る」という文字が入っていることにふと気付いた。

 

 

大切なものを守るとき、

私たちは他の大切な何かをある意味切ることを

強いられているように思う。

 

 

切る、ということは手放す、ということ。

守ろうとかがみこんでいたその身を

大きく空に向かって広げ、

抱えていたものを自分の懐から放つことだ。

 

 

その行為は放つものが大事なものであればあるほど、

痛い。辛い。悲しい。

 

 

けれど、その痛みは、きっと

神様がくれる愛なんだろうなって思う。

 

 

その手放した先に痛みよりも、

もっと大きな大きなプレゼントが

用意されているから。

 

 

大切なものを大切にするために、

何が執着で、何が本当にしたいことなのか、

迷い、選びとる作業は、

自分の心をシンプルに、清めていってくれる。

 

 

大きく切る。

私もばっさばっさと色々なものを

切って、手放している真っ最中だ。

 

 

本当に、本当に大切なものを自分で知るために。

 

 


はみ出たところが、いいんだよ。2017.3.21

 

 

色々なものをカテゴライズするのは

ときに便利だ。

 

 

食べ物や、インテリア、音楽に洋服、

色々なものが最近はとっても細かく細かく

カテゴライズされているように思う。

 

 

でも、はじめはそんなくくりなんてなくて

みんなそれぞれ好きなように存在していたはずだ。

 

 

そして、似た者同士を集めて

一つの「くくり」を便宜上作っただけだったはずなのに

 

 

いつしかカテゴリーが教科書のようになって、

自分がそこに合わせていく、

そんな順序になりかけていたような気がする。

 

 

インターネットでも、ちょっと気になる言葉を検索したら

すぐそれにまつわる広告がどんどん目に飛び込んでくるし、

 

 

この人は、こんなものが好きだから、

きっとこんな洋服を好んでいて、こんな音楽を聞きそうで、

こんなインテリアが好きで、こんなお店が好きだろう。

 

 

なんとなく、わかってしまう、

そして当たってしまう。

なんだかそれが変な違和感としてお腹の中にずっとあった。

 

 

でも、子どもを見ていて思った。

彼らがきらきらしているのは、

彼らはどこまでも「彼ら自身」であろうとしているからだって。

 

 

本当にその「人そのもの」に惹かれるときって、

どうやっても既存の枠の中におさまりきらないような部分を

その人の中に垣間見た時だ。

 

 

そして、そのはみ出た部分っていうのは

絶対にみんな本当は持っている。

カテゴリーという枠に、絶対おさまりきらない部分を持っている。

 

 

私自身も多分あるのに、

長い間枠にはまるようにと頑張って切り取ったり

押し込んだりしていた。

(でも、知る人から言わせてみれば全然はみ出ていたと思う。)

 

 

だけど、子どもたちをみながら、

その人間味が溢れてる、はみ出た部分を、

もっと自分でも認めていこうと思った。

 

 

はみ出てる部分はちょっと扱いづらい時もあるけど、

なんだか最近そういうものがとても愛おしいなぁと感じる。

 

 

カテゴリーはとても便利だ。私も助けられている。

 

 

でも、どう頑張ってもはみ出てしまう、

そんな部分こそ、世界でたったひとつの、

一人一人の宝石なんじゃないのかな。

 

 

その宝石を、押し込んで隠していくんじゃなくて、

認めて、大事に磨いていきたいな。

 

 

 

 


もう一度、信じてみよう。 2017.3.20

 

 

子どものころ、

信じることは簡単で、単純なことだったのに、

疑うことを覚えてからは、

信じることは怖いことで、愚かなこととさえ思うようになっていた。

 

 

でも、今更ながらに気づいたけど、

簡単になんでも鵜呑みにしてしまうことと、

信じることは違う。

 

 

自分を守るためにここしばらく疑って生きるようになっていた。

自分も。相手も。

そうすることで保たれる距離が、自分を

守ってくれると信じていたから。

 

 

でも、そんな悲しい心の鎧はもう手放そう。

 

 

たとえ傷つくことがあったとしても、

もう一度信じて生きてみたい。

子どもの頃のように、単純にはいかなくても、

純粋に信じてみたい。

 

 

自分を。相手を。世界を。

信じる力を信じたい。

 

 

傷つくことを乗り越えて、恐れを乗り越えて、

信じ抜いて生きて行くことができたなら、

 

 

そこにはきっと、きっと、

疑って生きてきたときには見たこともなかった世界が待っている、

そんな予感がするんだ。

 

 

その世界の扉を、この春開けてみたいと思う。

ずっと、ずっと怖くて閉じたままにしていたこの扉、

十数年ぶりに、もう一度勇気を出して開けてみようと思う。

 

 

 

 


転勤生活から学んだこと 2017.3.18

 

昨日はリサイクルステーションに資源ごみを持って行ったら

偶然知り合いのガラス作家のママさんにお会いして、

工房を見せてもらったり、

 

 

こちらに来たときにカフェで偶然知り合った

イベンターの方から教えてもらった子供のイベントに

参加して、オーナーのご夫妻とお知り合いになったり、

なんだか予期せぬ人とのつながりがたくさんあった1日でした。

 

 

半年前は、家の外には誰も知り合いなんていなくて、

大家さんが初めての土地でなれないだろうからとピンポン鳴らして

こっちで有名なアイスモナカをくれたのが泣くほどうれしかったなぁ。

 

 

それが、公園で知り合ったお友達がそのまたお友達を紹介してくれたり、

そんな小さな出会いが新しい出会いになって、

なんだか気付いたら結構いろいろな人と出会ってきたなぁと

人の縁に改めて感謝したくなりました。

 

 

こうコロコロ短期間に引っ越してしまう生活を送っていると、

「どうせすぐに転勤してしまうんでしょ」と見る人もやっぱりいて、

それはもうその通りだから仕方ないなぁと思います。

でも、私はお客さん気取りでいたくはない。

 

 

土地に根ざし、長年築かれてきた人と人との関係や

土地の持つ歴史、文化にはとてもとても敬意を持っているし、

壊さぬように気も使うけれど、

 

 

やっぱりせっかく縁あってこの土地に住むことになったのだから、

できる限りしっかり関わりたい。

自分のホームとして10年後、20年後たとえ住むとしても

残したいと思えるものを、私が今ここにいる間に残せるだけ残したいし、

そのために私が今できることをできるだけやりきりたい。

 

 

人ととの関わりにおいても、

土地との関わりにおいても。

 

 

私にとって、転勤生活は別れも多いし大変ではあるけれど、

 

 

「来年はどこにいるかわからない。

だから今できること、今伝えられることをやりきろう」

 

 

そんなスタンスで生きて行くことを学んだような気がします。

この春を過ぎたら、もう一歩深く、この場所と関わってみようと

思っています。

 

 

どうか私の生活を豊かに彩ってくれている、

この土地に対する、そしてこの土地に住むたくさんの人たちへの

恩返しができますように。

 

 

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変化は生きている証。 2017.3.18

 

 

日々を繰り返していると

知らない間にじわりじわりと日常は変化していく。

 

 

そして、ふとした瞬間に、私たちはいつしか

ずいぶんと遠くまで来てしまったことに気づいたりする。

 

 

首がすわらなかった子が少しずつしっかりとして、

気づけば自分で周りを見渡せるようになり、

「あーあー」としか言わなかった子が、

「わんわん」と言うようになり、

数年もすれば走り出している。

 

 

変化してから、後戻りできなくなってから

「あれ?いつの間に?」とハッとする。

 

 

変化は切ない。

成長も嬉しさみしい。

私はわがままだ。

 

 

早く大きくなってほしいと願いながら、

ずっとこのままでいてほしいとどこかで願う。

 

 

でも、震災のとき、被災地で止まったままの時計や

置き去りにされたおもちゃを見てはっとした。

 

 

変われることは祝福だ。

生きていることの証なんだと。

 

 

どんなに辛い出来事も、辛いと感じられることや、

どんなに素敵な思い出も過去に変わってしまうことは、

生きているからこそなんだと。

 

 

子どもたちが去年着れていた服、履けていた靴が

あっというまに履けなくなるのは信じられないくらい、幸せなこと。

子どもたちが変わっていくことや、

自分が変化していくことも、まだまだ怖い時もあるけれど、

信じてみよう。

 

 

きっと、大丈夫。

絶対大丈夫。

 

 

変化はきっと、「今」というものに気づくための、

神様がくれたプレゼントだ。

 

 

 


支えられていたのは私の方だったよ 2017.3.16

 

 

朝、ゴミ出しに出かけようとしたら

長男が「いっしょに行くー」とついてきた。

 

 

雨の後のキラキラした朝日が彼の背中に降り注いで、

改めてふと見てみたら随分その背中が大きくなっていてしみじみした。

 

 

「ちょっと待ってよ〜」と手をつなごうとしたら

するりと私から逃げるように走り出して笑った。

 

 

あぁ、子どもが成長するって、こういうことなのかって思った。

 

 

あんなに「おかあさん、おかあさん」って言って

私はもう布団をかぶって何も聞こえないふりをしていたいと

思ってしまうことさえあったのに。

 

 

子どもには子どもの人生が

たとえ小さくても、ちゃんとある。

 

 

そういえば、もう来月の今頃は幼稚園に通ってるんだ。

 

 

朝から晩まで顔を突き合わせて、

彼と毎日笑ったり泣いたり怒ったり、ほぼ1日も離れることなく

過ごしてきたこの3年。

子どももまた、新しい世界へ踏み出そうとしている。

 

 

私も、追いかけてないで、自分で歩かなくちゃ。

お母さんも負けてないぞって言ってやらなくちゃ。

 

 

私が「待ってよ〜」というんじゃなくて、

「ほら、ついておいでっ!」て言えるように。

 

 

一人だったら出なかった勇気を、

私は子どもにどれだけもらってきただろう。

支えられていたのは、悔しいけどやっぱり、私の方だったみたいだね。

 

 

ありがとう。

これからも、げんきに大きくなあれ。

 

 


出しきった先に見える世界 2017.3.15
先日、4月のイベントのバンドメンバーで
顔合わせして、軽く音合わせをしました。
 
 
ソロでバンドでするのは実は初めて。
合わせてみて初めて見えてきたことがとても沢山あって、
これはまた新しい、登り甲斐のある山がやってきた。
 
 
音を合わせると、
初めましてでお互いのことをそんなに語ったことがなくても
その人がどんな感じの人なのか、なんとなくわかる気がする。
 
 
そして、一緒に演奏するときにできる一体感は、
言葉や性別や年齢をいとも簡単に超えてしまう。
そんな音楽の魔法に、子どもの頃私は取り憑かれてしまって、
こうして今も音楽をしている。
 
 
ただ、音ってとても正直だから、自分の内面も鏡のように現れる。
例えば私が自分を出すのを怖がって出し渋ると、
間違いは特にないし、綺麗にはまとまるかもしれないけれど
盛り上がり切らない、不完全燃焼のような感じになってしまう。
 
 
やっぱり、出し切らなくっちゃね。
 
 
そうやって、殻を少しずつ破って近づいていく。
ぶつからなければ音楽は生まれないから。
そういう過程もまた、音楽の楽しいところ。
これをやり切れたらまた新しい何かが必ず見える気がします。
 
 
自分を出すってすごく勇気がいる。
出し切ってしまった自分の等身大を
どこかで見るのが怖いんだろうな。
 
 
でも、その線を思い切って踏み込んだ人にしかみえない世界があると思う。
やっぱり、見てみたい。感じてみたい。
その世界を。
 
 
そこまでの道のりはもちろん楽しいことばかりじゃないけど、
今、ものすごく濃くて人生の中でも振り返ったら
忘れられない時間になるような時を過ごしている気がする。
じーっくり、噛み締めていこう。
 
 
もう春が来ますね。
色んなものを脱ぎ捨てて、
新しい世界に飛び出そう!
 

子どもの持つ力 2017.3.12

 

 

最近、3歳の長男が毛糸の縫い物にハマっています。

 

 

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 この前子どもに買った本がとってもよくて、

生活の中の一つ一つの小さなこと、

例えば「着替える」とか「顔を洗う」とか

そういうことの手順が、子どもにもわかるように

丁寧に書いてあります。

毛糸の縫い物も、その中に紹介されていました。

 

 

私たちには当たり前すぎてついその「手順」を

説明することをすっ飛ばしてしまいそうになることも、

この本の説明を読んでいると、

あ、子どもはこういうことも説明しないとわからないんだった、とか

改めてはっとさせられることが多いです。

 

 

長男が福岡で3ヶ月だけ通った幼稚園では、

本当にどんな小さなことも子供目線で丁寧に教えてくれた場所でした。

私はそのおかげで本当の「子供の目線」てどういうことかを

学んだ気がします。

 

 

鼻を垂らした子供に、

こうやってティッシュをたたんで、

鼻を片方おさえてかむんだよ、

って落ち着いて教えてあげたり、

 

 

着替えなさい!じゃなくて、

こっちが前で、ここから頭を入れて、

手を出すと着替えやすいんだよ、とか、

 

 

雑巾の絞り方、たたみ方、拭き方とか。

 

 

本当に小さなこと。

でも、子どもはキラキラした目で聞いてる。

私はそのキラキラが、子どもの命が持っている

本来の輝きなんだろうなって思っていつも心が洗われます。

 

 

地球に重力があるように、

子どもの命の中にはきっと自立しようとする気持ちが必ず備わってる。

子どもに限らず、人間である以上は私たちは光に

向かって生きているんだと思います。

 

 

だから、今は何も自分でしようとしない子も、

本当は自分でしたいし、

できるようになりたいって思ってると思うんです。

きっと親の本当の役目はその力を信じてサポートすること。

 

 

でも、同時に子どもは「見守っていてほしい」とも思ってる。

自分ではやれるけど、見ててほしい。

心を向けていてほしい。

 

 

だから、「自分でできるでしょ」と言って放ったらかしにされると、

「やってやって〜」と言ってきたりします。

困ったときは、お母さんが助けてくれる、大丈夫。

そんな「安心感」も同時に必要なんだろうな。

 

 

歩き始めた子供が自分でよちよち歩いては

しきりに後ろを確かめて、「お母さん、きてる?」って見るように。

 

 

だから、根気強く子供の心に安心感を育んであげられたなら、

そこが満たされたときに、子どもは驚くスピードで

自分でいろんなことをやり始める。

親のこっちが、「ちょっと待ってよ〜」と言いたくなるくらいに。

 

 

そうやって、いろんな綱引きをしながら、

子どもも、親の私たちも、共に成長していくんでしょうね。

 

 

うちも「やってやって〜〜〜」の言葉が

いつもより子どもたちからしきりに出るときは、

「寂しいよ〜」のサインだと思って、できるだけ

子どもたちをしっかり見るようにしたり気をつけています。

これを見逃すと、兄弟喧嘩が増えたり、

「いたずら」っていう形で気を引こうとしてきたりします。

 

 

お母さんに見ていてほしい、そばにいてほしい、

でも自分で生きていこうって頑張ってる。

 

 

私も私で、自分の中にある光へ向かう力、

自分の力で自分の人生を歩む力を信じて、

子ども達に見守られながら進んでいこう。

 

 


「グレーを沢山抱えて生きて行く。」 2017.3.10

 

 

今、4月のコンサートに向けて、演奏する曲を選んだり、

引き続きレコーディングする曲の練習だったり、

なんとか隙間時間を見つけて取り組んでいるところです。

 

 

私にとっては自分の子どもたちがストレートな意見をくれる

いいお客さんがわり。

 

 

一緒に歌って遊びながら、

あぁこの曲は一緒にやったら楽しそう、とか

こうやって伝えたら子どもさんたちにもわかってもらえるかな?とか、

今いろいろと試行錯誤しています。

 

 

お母さんてきっと、

「子どもの楽しんでいる姿を見たい」という気持ちと

「自分も楽しみたい」という気持ち。

両方ありますよね。

 

 

どちらかだけが満たされるのではなくて、

どちらも満たされる時間て一体どんなものなんだろう?

そのためにはどんな風に曲を届けたらいいのかな?

 

 

そんなことをぐるぐる考え続けています。

答えはまだ出ていませんが、

でも、なんだかこれはとても必要な悩みのような気がしています。

 

 

私はお子さんも、お母さんも、心から笑顔になってくれる時間を作りたい。

どちらかが欠けていても成り立たないし、

どちらかが、我慢したってやっぱりダメなんだ。

 

 

きっと、みんなが笑顔になれるポイントがあるはず。

ああかな、こうかなって悩みながら、

答えがすぐに出なくても

それをどうにかさぐっていく作業は続けていきたいと思っています。

 

 

私にとって音楽と向き合うことは

子育てと全く同じような感じです。

 

 

子育てって、子どもは待った無しで大きくなっていくけれど、

すぐには答えの出ないことばかり。

自分の育て方にだって、それが良かったか、悪かったか、

本当の答えが出るのはきっと、もっともっと先になってから。

 

 

そして、たくさんの人と関わりながら、

子どもたちを育てていけばいくほど、

白黒はっきりつけられないことが沢山、沢山出てきます。

 

 

いろんな気持ち、いろんな思いが「子どものため」という名の下に交差する。

 

 

でも、そんななかで、親として何が一番大事にすべきかを

その都度その都度悩みながら決断し、選びつつ、

グレーの、曖昧な気持ち、どっちつかずの気持ちも

たくさんたくさん両手に抱えながら、

 

 

子どもたちを幸せを確かに願い、

また自分の生き方も模索し歩いていくその道中に、

きっと何か大切なものが眠っているんだって

私は信じて歩いています。

 

 

きっとそれこそが自分を強くしてくれるはずだし、

子どもへの思い、自分の大切にしたいこと、

そんなものを確固たるものに育てあげていってくれるような

気がしています。

 

 

だから、「子育ては楽しいです!」って、

辛いことを隠して笑顔でやり過ごすんじゃなくて、

ちょっと不格好なところも嘘をつかずに、

歌を通して表現していきたいなと思っています。

そこで自分の気持ちが歌を通して何かしら救われるのであれば、

きっとその苦しみもなんらかの意味を帯びてくれると思うから。

 

 

4月の音楽会も、

子育て中のお母さんがたにはもちろん、

そんな思いを持って自分を育ててくれたんだ、とか

こんな思いを持って育てていたなぁ、と

自分の親を思ったり、子どもを思ったり、

いろんな世代の方に来てもらえたらいいなぁと思います。

 

 

そして、堅苦しいことは考えず、

純粋に音楽の力を借りて、ワイワイと盛り上がれる時間にも

していきたいなと思っています!

今回はギターもパーカッションも入るので、さらに楽しくなりそうです!

 


「本当に大切なものはなに?」 2017.3.9

 

最近、「本当に大切なものはなに?」という

問いかけを、自分の中でも、外でもとてもよく耳にします。

 

 

そういえば最近歌詞でもこのフレーズを使ってい他ことに気がついて、

私は多分本当に今本当に大切なものってなんだろうって

もう一度考え直しているときなんだなと思います。

 

 

みなさんは、本当に大切なものって、なんですか?

 

 

「子供です」とか「家族です」とか、

もっと大きな意味で「お金です」とか「愛です」とか

いろんな答えがあると思います。

 

 

でも、昨日ずっと伴走してもらっているコーチに、

「本当に大切にしたいものはなに?」って

またここでも偶然問いかけてもらって、

立ち止まって考えたときに私の中からふと出てきた答えは

 

 

「自分が笑顔でいれること」でした。

 

 

「子供」でもなく、「家族」でもなく、

なんか私は自分自分と我の強い人間だなぁと

思いました。

 

 

でも、時間が経ってもうすこし考えてみた時に、

私は自分「が」笑顔でいれることじゃなくて

自分「も」笑顔でいたいんだと気付きました。

 

 

本当の幸せって多分つながっているから、

誰かだけの幸せを考えているとき、

それは大きな意味で誰の幸せにもなっていないんだと思う。

 

 

その人の幸せを見ながら、外側では「良かった」と

思いながら、心のどこかで満たされない何かが胸の内にある時、

それはいつか必ずたまりたまって表に出てくる時がくる。

 

 

だから、「これは大事な人を笑顔にできるかな?」と考えるのと同時に

「私も笑顔になれるかな?」と自分に聞きながら、

今私は「本当に大切なもの」を私の身の回りのものや人、状況、

一つ一つ手にとって、確かめている途中です。

 

 

今までなんとなくわかったつもりで素通りしていたものを

改めて立ち止まり手に取ってみる。

 

 

するとこれまで大切だと思い込んでいたものは

ひとつの「執着」でしかなかったりすることにも気づいたりします。

 

 

そんな自分の執着に気づいたり、それを受け入れる作業も

また結構大変で、そしてそれを手放したりする作業は、

楽しいことばかりではないけれど、

新しい扉を開くためには大事なことだったりもするんだと思います。

 

 

行き先はわからないけれど、

人生の中での新しいステージに行くための

引っ越し準備?といったところでしょうか。

 

 

そうやって、人生はたくさんの人と出会い、

たくさんのものを両手に抱え、

抱えきれなくなっては荷下しし、

また新しいものを取り入れて、

最後に残るものは

 

 

なんだろう?

 

 

それがわからないのも、

また生きているという醍醐味なのかもしれませんね。

 

 

年度末、書きたいこともいっぱいですが、

やりたいこともいっぱいなので、

なかなか更新が追いつきませんが、

明日はFMとやまの「くろらん★ふれステ・マガジン」に

17:00〜ゲストで出演します!

初めて製作途中の音源をON AIRしてもらうので

みなさんぜひ聞いてみてくださいね!

 

 

それでは、今日も素敵な1日を!

 

 

 

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「音楽は誰も裁かない」 2017.3.5

 

富山での初めてのソロコンサートが無事に終わりました。

 

 

「親子のための小さな音楽会」にお越しくださったみなさま、

そしてサンドイッチを作ってくれた針山佳奈恵さん、

清水工務店、A-PORTのみなさま、本当にありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

みなさんの顔を見ながら、歌を歌いながら、

私自身もまた、みなさんと同じ母親として自分の気持ちを

正直にシェアできたことが純粋にうれしかったです。

 

 

 

 

今回の音楽会では、うれしいときであれ、悲しいときであれ、

人生の中でもおそらく、一番大変な時期の一つであろう子育ての、

「今」という時間が少しでも「愛おしいなぁ」と思うための

心の余裕を持つきっかけを、音楽の力を借りながら

お母さん達と共有できればいいなぁと思っていました。

 

 

そして、お母さん達自身が自分の中にある

毎日頑張っていた自分や、子供達への愛情、苦しいと思っていたこと、

そういう気持ちを一つ一つ眺めて、受け入れていくための

時間になればいいなぁと思っていました。

 

 

本当は、お子さんを他の部屋でお預かりしたほうが、

きっとゆっくり聴けるんだと思うんです。

でも敢えてそれをしませんでした。

 

 

お子さんを抱きながら聴けるのも人生の中でほんの短い時間だし、

お子さんのそばで、お子さんの存在を感じながら、

いろいろ感じ、またそんなお母さんの感じている素直な気持ちを

お子さんにもお子さんなりに感じ取って欲しかったからです。

 

 

お子さんはみなさんその子の年齢なりに、

ちゃんと一人の人間としてお母さんの変化を

感じてくれているから。絶対に。

 

 

今日も涙を流しているお母さん達を、

子ども達は真剣な眼差しで見ていました。

それがとても印象的でした。

 

 

まだまだ課題はたくさんありますが、

これからもこのスタイルのコンサートは

試行錯誤しながら続けていこうと思っています。

お越しくださったみなさま、アンケートにも丁寧に答えていただいて、

みなさま御感想、ご意見いただき本当にありがとうございました!

これからの参考にさせていただきます!

 

 

音楽は誰も裁かない。

どんな人にも、誰にも、平等に届くから。

どんなに自分を責めてしまう日も、

今日の日をふと思い出して、「よいよい!大丈夫!」って

自分を許せるきっかけになってくれるといいなと思います。

 

 

 

針山さんのサンドイッチも美味しかった〜〜〜〜!!!

とっても可愛くて、美味しくて、

「わくわく」がいっぱい詰まったサンドイッチでした^^

 

 

さてさて、

 

 

来月はパーカッションとギターの方に来てもらって

お昼と夜の部、の2公演行う予定です。

予約は3月7日から始まります!

 

 

ぜひ、お誘い合わせの上、子育て中の方も、

そうでない方もみなさんでお越しください!

 

 


「ベルトコンベアのような日常から降りてみて気づくこと」   2017.3.4

 

 

いよいよ明日は富山で初めてのコンサート。

「親子のための小さな音楽会」です。

この企画が立ち上がったのが去年の暮れ。

 

 

この冬の間はコツコツと、

それに向けての準備や、曲作りに励んできました。

初めての雪国の冬はとても長かったです。

でも、ぐーっと自分の内側と深く向き合い、

篭る時間になりました。

 

 

最近はいよいよ空気が春めいてきて、

これまで内面の方に意識が向かっていた分、

その反動のように外へ外へとどんどん意識が

向かっています。

 

 

そのせいか、この1週間ほどで

ぐんとまた出会いが増えました。

人間も、やっぱり動物なんだなぁ。

冬眠からようやく覚めたみたいです(笑)

 

 

そういえば、先日「はっぴーママ」の富山版にも

掲載していただいて、このところいろんなところで

知らない人からも、「雑誌見ました!」なんて

声をかけていただいたりすることもあって、

 

 

みなさん興味を持ってくださって

とても嬉しく、ありがたいです。

 

 

お母さんというのは、

日常を育む、命を育む仕事。

 

 

・・・なんだけれども、

日々の仕事の内容は派手でもなく、

黙々とこなしていくような地味なお仕事が

ほとんどで、

 

 

オムツを替えて、ご飯を作って、

洗濯をして、公園へ遊びに行って、

お風呂に入れて、寝かしつけて、

気づけばまた日付が変わり、その繰り返し。

 

 

子ども達は待った無しであれやこれやを求めてきて、

つい日常に追われて振り返る余裕もない間に

日々は過ぎていきます。

 

 

本当は、

ゆっくりと子ども達のことを考えてあげたいなって

思いながら。

 

 

だから「親子のための小さな音楽会」は、

ついついベルトコンベアに乗っているかのように

流れてしまいがちな日常からちょっと飛び出して、

 

 

自分の大切な根っこを、自分のことや、

自分の子ども達のこと、大切な人たちのことを

純粋に想い、彼らの幸せを願ったり、今ある幸せに改めて

気づけるような時間にしたいなと思っています。

 

 

明日はおかげさまで満席ですが、

次回は4月1日に開催が決まりました。

今度はお昼の部と、夜の部、2公演で、

夜の部はちょっとしっかり自分の今作っている作品なども

歌えるように長いライブを予定しています。

 

 

久々の3ピースのバンドでお届けするので、

こちらもぜひお時間あればお越しください!

応募は3月7日からスタートします^^

 

 

それでは、今日は機材を運びに行ったり

最後の準備をしつつ、お父さんは仕事なので

いつも通り、子ども達と遊びたいと思います〜!

 

 

素敵な週末をお過ごし下さい!

 

 


「心のゆとり」   2017.3.3

 

 

子育てをしていると、

子どもたちのために、家族のために

あれもこれもっていろんなことをしてあげたくなりますよね。

 

 

そして、気づいたら

自分が与えられる以上のものを与えようとして、

くたくたになって。

 

 

「私はこんなに頑張ってるのに誰もわかってくれない!」

 

 

そんな気持ちになる。

 

 

そんな恨みがましい気持ちになる自分がまた嫌で、落ち込んで。

でも、くたくたになった心からは、怒りや惨めさって

なかなか消えないですよね。

 

 

つい最近、私も無理をしてしまったとき、

にがーい気持ちを、もうそろそろ手放したいなぁと思いながらも

なかなか手放せず、飴玉を転がすように心の中で味わっていました。

 

 

そして、いつものように自分を責めるんじゃなくて、

「できないよ」って認めよう。

ちゃんと口にしようって思って言ってみました。

 

 

そしたら、「できない」ことを許していなかったのは

子どもでもなく、家族でもなく、

他の誰でもない自分だけだったんだって改めて気付いてしいました。

 

 

自分の心って目には見えないから、

すり減っていってることになかなか気付かない。

でも、1日1個の無理も、積み重なれば大きな無理になっていく。

 

 

そして、私たちがすり減らしているものって、

 

 

「あぁ、今日も空が青いなぁ、幸せだなぁ」って思える余裕や、

 

 

「おかあさーん抱っこ!!!」って朝の忙しい時に

子どもに足元にまとわりつかれた時に抱きしめてやれる余裕、

 

 

本当の人生の豊かさは、こういう瞬間にこそあるはずなのに、

自分を追い詰めることを続けていると、

そういうことを感じる「心のゆとり」が一番になくなっていく。

 

 

それはきっと誰も望んでいることではないはずだと思います。

 

 

きっと「心のゆとり」というのは、

削ってもいいものではなくて、守るべきもの。

自分の子どもを守るように、自分の大切な人を守るように。

 

 

だから周りから求められることに答えることも大事だけど、

それが自分の中にある「心のゆとり」を大きく

削ってしか答えられないものなのであれば、

時にNOという勇気も必要なんだと思います。

 

 

私は、そうやって、これは自分の心がすり減るな、

これは無理してでもやりたいな、

そんなことを自分の中で吟味していく作業もまた、

自分をより深く知る作業だなぁと楽しんでいます。

 

 

そして、「心のゆとり」という、大空のような空白で、

すっぽりと、ありのままの子どもたちを、

自分を、大切な人を、今を、抱きしめたい。

 

 


「本当の気持ちへ向かうとき」   2017.3.1


 子育てをしているとこんな話をよく聞きます。

 

 

「子ども達のことが大好きなのに、

つい怒鳴ってしまう、つい感情的になってしまう、

そして自分を責めてしまうんです」

 

 

そして、私自身もその一人で、

このジレンマからずっと抜け出せずにいました。

 

 

子育てのあるあるじゃないのかなぁって思います。

 

 

大好きなのに、イライラが止められないって

こんなにつらいことないですよね。

嫌いであれば、もっと楽なのに。

 

 

でも、自分で抑えられないほどのエネルギーを

もったこの感情は、自分の心の奥深くからくる、

とても大きなメッセージなんだということに、

改めて気がつきました。

 

 

心の奥深くに、私たちはひとりひとり、

強くて純粋な願いや、目標を抱いて生きていると思います。

 

 

その願いがあまりにも無視され続けているとき、

きっと大きな波のような力で、

半ば強制的に「それは違うんだよ!」と教えてくれる。

その一つが、止められないイライラなんだと私は思っています。

 

 

「もっと気づいて!!もっと私の気持ち、大切にして!」って。

心が叫んでる。

 

 

だから、イライラは、責めるものではなくて、

本当の自分に繋がるための入り口なんじゃないのかな。

 

 

その入り口に勇気を持って足を踏み入れてみれば、

必ずたどり着ける。

 

 

「〇〇が欲しい」

というシンプルで、純粋な願いに。

 

 

「あ、私はこれがしたかったんだ」

それにただ気づくだけでも、変わりだすし、

それが満たされたときは、霧が晴れるように

イライラというのは姿を消していく。

 

 

だから、無理だと言わずに

耳をすませてあげよう。叶えてあげよう。

 

 

子育てしていると、

なかなか自分の気持ちを大切にすることって

難しいことが多いけれど、

 

 

子育てしているからこそ、

自分の気持ちに寄り添ってみよう。

身をちぎるような優しさではなく、

満たされ、溢れ出た優しさを子どもたちに注ぐためにも。

 

 

私も今、向き合っている真っ最中です。

はっきりとした「思い」になる前に

蓋をするくせがついてしまっていた、

私の心の奥に眠っている、本当の、本当の気持ちに。

 

 

だから、どうか責めるのではなく、

そのドアを開けて欲しい。

他の誰かではなく、あなたに救ってもらえるのを、

その思いはずっと待っていると思うから。 

 

 

 


「降参することも強さ」2017.2.27

 

 

最近、子育てを通して

「降参すること」を学んでます。

 

 

こうやって書くとなんか滑稽ですね。

 

 

でも言葉の通り、

「お手上げー」ってすることを学んでいます。

お手上げって、両手をあげますよね。

何もつかめない。

それは、手放すことだと思います。

 

 

私はこれまで降参したら負けだって思って生きてきました。

そこで諦めずに歯を食いしばることが強さだ!って。

周りの手はそこそこに借りながらも、

とにかく一人でできることは頑張ってきました。

 

 

でも、そうやって頑張っていくうちに

自分の心の中に空っぽのスペースがなくなってきた。

ブレーキの「遊び」のような部分がなくなってきた。

 

 

ずっとどこかでイライラしていて、

ずっと何かに不満を持っていて。

そんな自分を責めて、落ち込んで、の繰り返し。

 

 

手放すことを学ぶことを後回しにしていたら、

最後には「放棄」っていう大事なものまで放り投げてしまう

ことになってしまうんじゃないの?って今更ながら気づきました。

 

 

アクセルとブレーキ、

どっちもないと成り立たない。

そんなことは頭ではずっとずっとわかっていたのに

抱えることばかり学んで、

荷下しすることをおろそかにしていました。

 

 

気づいたら、アクセルとブレーキ、

両足で踏んでる状態(笑)

 

 

だから、潔く降参して、

今のできない自分を認めて、

今の自分ができること、自分が抱えられるものを

ちゃんと取捨選択して大切にするために身辺整理をしています。

 

 

言い方を変えればそれはまた新しい意味での

強さなんだと思っています。

 

 

手放す強さ。弱さを認める強さ。

 

 

もっと、はじめから上手に手放せたら、

降参しなくても良かったのかもしれないけど、

でも、今の私は、降参でもしなければ

手放せない、まだちっちゃさなんだなーってことも再認識しました。

 

 

でも、それでも私の早さで進んでると思う。

私なりの学びを進めていると思う。

 

 

私は本当に子どもたちが好きだから、

自分で全部やってあげたかったんだ。

ただ、それだけなんだよね。

 

 

でも、私の内側にいる心の声が

もういっぱいいっぱいだよ、ちょっと詰めすぎだよって

サインを私にたくさん送ってくる。

 

 

どちらも本当の気持ちだったから、

ずっと手放せなかったけど、

でも、ちゃんと着地点を見つけられると思う。

 

 

冬の後は春が来るみたいに。

ちゃんと、ちゃんと人生には「落とし所」というのがあるはず。

 

 

どこに落ちるかわからないけど、

そうやってさまよいながら春を目指している

今さえも、隠さず大切にしたい。

子どもたちと一緒に、迷いながら、揺れながら、

春へ向かっていこう。

 

 


「足りないものなんてないんだよーー子ども達の背中が教えてくれたこと」2017.2.25 

 

 

コンサートが近づいてきて、

いよいよだなー!と久々のソワソワ感を味わっています。

毎回、コンサートの前はこうやってわくわくと同時に、

ひやひや、そわそわ。

 

 

「もう嫌だー!」って思うこともたくさんあるけど、

なんだかんだとこの緊張感と10年以上付き合いながら

何百回とステージに立ってきました。

 

 

それはやっぱり歌が好きだから、

待ってくれている人がいるから、

それに尽きます。

 

 

でも、この緊張感とのいい付き合い方を探してきて、

10年経ってようやく、

「私は私以外の誰にもなれないのだから、

私ができることをしよう!」

 

 

最近ようやくそんなことを

ドキドキしながらも思えるようになって、

少し集中できるようになりました。

 

 

これまでは自分の中で「理想の自分」というのがいて、

理想の自分と今の自分とを重ね合わせてみて、

足りない部分を外からもってきて貼り付けて、

理想の自分に近づけよう、と躍起になっていました。

 

 

それはとても自分に対して辛いことだったなぁと思います。

常に、自分に対して「足らない、足らない」って

言って、今の私は「ダメ」っていっていたわけだから。

 

 

でも、本当に大事なのは、今ある自分を活かすこと。

他の誰かになろうとすることではなく、

今の自分を最大限に活かして、生きること。

 

 

私は私以外の誰にもなれないのだから、

あるものを磨いていくことの方がうんと大事だって

今は思います。

 

 

きっかけはやっぱり、子どもたちとの日々です。

 

 

彼らを見ていると成長途中で

いびつなところばかりが目につくこともあるけれど、

自分を100%受け入れて、

ただ純粋に太陽の方向に伸びていく植物のように

自分を育んでいっています。

 

 

私は彼らの成長する力を信じて、必要な時に

お水をあげたり、彼らの成長を手助けするだけ。

彼らの自分を信じる力が私の中にある自分を信じる力を

呼び覚ましてくれたように思います。

 

 

私も私の中にある太陽へ向かう力がきっとある。

それを信じて、その力の導くままに

自分を磨いていこうって。

 

 

だからちょっと曲がったり、

しおれそうになる時があっても、

 

 

「私は大丈夫!」

 

 

そんな根拠のない、でも確かな自分を信じる気持ちが

子どもたちを見ているとむくむくって湧いてきます。

 

 

これから彼らが大きくなって、いろいろな壁にぶつかり

彼らだってふとくじけそうになる時があるかもしれません。

 

 

その時に、今度は私が自分の背中を見せて

「ほら、ついてこい!」って勇気付けてあげられるような

母親でいたいな、と思います。

 


 

「親子のコミュニケーション〜伝えるよりも大切なこと」 2017.2.23

 

 

最近は3歳と1歳の男の子が

家でどんちゃん騒ぎをしている横で、

ひたすらピアノを弾いたり、

一緒に歌ったり、ピアノを乗っ取られたりしながら(笑)

来月のコンサートの準備をしています。

 

 

さて、そんな子どもたちもぐんぐん成長中で、

最近は下の子の成長が著しいなぁと思って見ています。

兄弟喧嘩が増えてきた!

 

 

いや、仲良くしてくれるに越したことはないので、喧嘩は困るのですが、

次男もちゃんと自分の意思を主張するようになってきたんだなぁと

しみじみ成長を感じました。

 

 

まだ、「にゃーにゃー」とか

「わんわん」とか、自分のおへそ押さえながら

「ぴーーーー」とかしか言えないけど(笑)

 思ってることはいっぱいあるんだよね。

 

 

昨日は公園で散歩しようとして、

せっかくだから行ったことのないところへ連れて行ってあげようと

車を走らせて連れて行ったら、

 

 

次男は一人では一歩も歩かず、ずっと抱っこで遊具に登れ〜

あっちへいけ〜こっちへいけ〜と人差し指で私を動かし、

自分の思い通りの方に進まないと、

泥んこの靴で私を蹴っ飛ばしてきました。

 

 

大人気ない私は最後の方になって

上着についたカピカピになった次男の泥だらけの足型を眺めながら、

 「もーなんなんよ!!」と腹を立てそうになっていましたが、

(というか半ば腹を立てていたのですが 苦笑)

 

 

夜、お風呂に入りながら、

「がーがー」といって

これ以上大事なものはないんだ!とでも言わんばかりに

髪を洗う時も、湯船の中でも大事そうにアヒルのおもちゃを

抱っこしている姿を見て、なんか愛おしいなぁと思いました。

 

 

一丁前に色々言ったりやったりするんだけど、 

 まだこの世に生まれて1年と7ヶ月しか経ってなかった。

 

 

伝えたくて、仕方がないんだよね。

受け取ってほしいんだよね。

まだまだ自分では言葉にしきれない

自分の気持ちを。自分の想いを。

 

 

大人気なく怒っちゃってごめんよ、

お母さんは君のことをもっと知りたいよ。

もっとわかってあげたいよ。

 

 

思わず、「好きだよー」と抱きしめたら

ドヤ顔でアヒルを見せつけられました(笑)

 

 

次男を見ていると、

自分の願いを叶えてほしい、というよりは、

自分の想いを受け取ってほしい。そんな感じ。

 

 

だから、「ん、ん、」ってきた時は、

私に代弁してほしいんだなって思います。

 

 

自分で「しんかんせん」とか「トーマス」とか

言えないから、指をさして私に言ってほしい。

 

 

車に乗っていても、窓から見えた飛行機を見て、

「飛行機があったね」って私に言ってほしい。

 

 

感じたこと、見えたもの、聞こえたもの、

受け取って、確認してほしい。

 

 

コミュニケーションて、

相手の想いを受け取ってあげる、

それが伝えることよりも大事なんだなって

次男を通して改めて思いました。

 

 

私が次男の思っていることを

ちゃんと言葉にできたとき、

次男の笑顔ときたらそれは嬉しそう。

 

 

でも、このシンプルな願い、

それはきっと大人にもある願いなんだなって思います。

 

 

しんどくてどうしようもないとき、

自分でどうにかしなくちゃいけないってことも分かってる。

誰かに解決を求めるものでもないことだって知ってる。

 

 

そんなとき、誰かに、

しんどいんだね、って言ってもらうだけで

なんか救われたような気持ちになる時がある。

 

 

でもそれは誰かにしてもらわなくても自分でもできる。

自分で自分に「しんどいんだね」、「頑張ってるんだね」

「もがいてるんだね」って

ただ、今の状態を口にしてみたらほっと楽になる。

 

 

だからって何も解決されるわけではなかもしれないけれど、

自分の中で感じているものを自分で受け止めてあげることで

何かが解けていく。

 

 

ただ、受け止めること。

なんだか大人になると受け取ったものを

こねくり回して料理して返さないといけないように

思ってしまいがちだけど、

 

 

シンプルに相手の想いに、自分の想いに

静かに耳を傾けることが、

実は何よりもの優しさだったりするのかもしれない。

 


 


「できなかったことより、できたことを数えてみよう」 2017.2.21
今日は最近、私が見つけた元気になるヒントを。
自分をつい責めちゃうとき、
できない自分にイライラするとき、
役に立つかも?しれません。

「今日もやろうと思ってたことのこんだけしか出来なかった」

とか
「まだこんなにもやること終わってないとか」
寝る前に思うと、
イライラして、仕方がない時がありました。
でもある時、
大事な人に言われたんです。
「全然頑張れないんです。あれもこれもしようと思ってるのに、
昨日もここまでしか出来なかったし、、、」と
話し始めた私の言葉を飲み込んだ後、一呼吸して
「そっか。でも、あなたそこまではやったんだよね?」って。
アホみたいですが、
私は気付きませんでした。
そして、それを言われた途端に
なんだか涙が滲んでいました。
ほんとだ、ゼロじゃなかった。
私がやったこと。
たったの1割くらいかもしれないけど、
確かに私はその日の出来る限り、
100%ではなかったかもしれないけど、
やったことはあったんだ。
これまで私は一度も自分でそれを認めてこなかったんだ。愕然としました。
それからは、
出来なかったことが浮かんできたら、
「でも、これとこれは出来たよね、おつかれ!」って、
自分で自分に言うようにしました。
まだまだ忘れる時もあるけれど、
前よりうんと楽になりました。
自分に求めるものが多いのは
いいことなのかもしれないけど、
今、出来ていることも、もっともっと
認めてあげてもいいと思う。
ありのままを認めるというのは、
出来たことも、出来なかったことも、
いい悪いではなく受け止めることだから。
そこからが、スタート。
それに、今は当たり前で
認めるなんて意識にもなかったことでさえ、
出来て当たり前じゃなかった時が
必ずあったのだから。
車の運転、
ご飯の支度、
子供のお世話、
その他いろいろ。
あなたにとって、毎日の「当たり前」は
なんですか?
当たり前のことほど、
掘り起こして認めてあげるのも大切かもしれない。
今できること、それもこれまでの
私たちの努力の積み重ねであるように、
今の小さな積み重ねがきっときっと、
少しずつ、ほんの少しずつだけど積み重なって
必ず明日への力になっていくはずだから。
出来なかったこともあったかもしれない。
でも出来たこともあったはず!
こうして今日も1日を無事に終えられたんだから。
今日も頑張ったよね!
みんな、お疲れさま!!
{9FDBBC85-EC17-46E5-8000-8BC1CE01E84A}

「粘った先にしか見えないもの」 
2017.2.19
先日、MBSの「ちちんぷいぷい」の生演奏をもって、
ユニットDewとしての活動を休止しました。
 
 
大阪から戻ってきて、
「あー、本当に一つの区切りが付いたんだなぁ」と
まだなんとなく実感があるようでないような、
そんな余韻に浸る間もなく元の生活に戻りました。
 
 
疲れて子どもと一緒に寝落ちした翌朝は、
またいつもの通り、
 
 
あ、お米精米してない!
洗濯物乾かない!
おやつ作ってない!
 
 
そんな毎日(笑)
 
 
これが今の3歳と1歳の子どもを育てている私の日常です。
 
 
大阪で久々に音楽だけしていた頃の人たちと顔を合わせて、
あぁ、私はずいぶん遠いところに来たんだなぁと思いました。
 
 
好きな音楽をCDショップに行って時間も気にせず探したり、
ライブに行ったりすることもほぼなくなって、
当時一緒に音楽をしていた仲間たちからおいてけぼりをくらったような
なんとも言えない寂しさを思わず覚えてしまうことも正直あります。
 
 
そして、「これからどうなるんだろう?」と、
ふと心に沸き起こる、大きなドキドキが今胸を支配中。
 
 
こんなドキドキ、久しぶり。
 
 
でも、もう進むしかないんだよね。
どんなにちっぽけな一歩でも踏み出すしかないんだよね。
 
 
思わず「力を出し切る方法」なんて
グーグルで検索してしまいました(笑)
 
 
こうやって、ドキドキしながら、足をすくませながらも、
一歩一歩、歩いていく。
そして、いろんなところで頭をぶつけながらも、
なんだかんだ言って実際歩いている自分が見えます。
 
 
全然、私も強くない。
弱っちいけど、でも、私は私を諦めたくないし、
その粘った先に見つけた光を、
私はこれからも歌にしていきたいなと思っています。
 
 
というわけで3月のライブの準備も、ちょっとずつ進んでいます!
3歳くらいの元気いっぱいの子どもたちがたくさん来てくれそうなので、
みんなで歌える歌も用意しようと思います。
 
 
次回は4月1日です!
こちらも受け付けが始まったらおしらせしますね!
これはギターとドラムの3ピースでのライブです。
お楽しみに!
 
 

「新しいスタート」
今日は久々に関西で、
MBSの「ちちんぷいぷい」に出演し、
生演奏させてもらいました。
私が子どもの頃からずっと見ていた番組で、
いつも学校から帰ったら家でおやつを食べて
宿題をしたりしながら
おばあちゃんやお母さんと観ていた、
一視聴者としても私の思い出の番組でもあります。
それがDewというユニットで活動することになって出演させてもらうことになり、
かれこれ8年近く、事あるごとに出演させてもらってきました。
今回もユニットでの活動を休止したことを知った番組の方が
お声をかけてくださり、
急遽今日、最後にもう一度ユニットで
番組で歌わせてもらうことになりました。
本番にはなんと家族も呼んでいいよと言ってくださり、
息子たちや母など、
家族が観てくれている中、
生放送で歌わせてもらいました。
 
こうして番組も歳を重ねていき、
たくさんの方達が関わられて変化を遂げていく中で、
変わらずこうして応援し続けてくださり、
本当に感謝の気持ちしか浮かびませんでした。
今日はテレビのカメラの向こうに、
たくさんの大切な人たちの顔が浮かび、
  
その人たちと私たちを繋いでくれている、
沢山のスタッフさんたちや家族が目の前にいて、
変な緊張はどこにも見当たらず、
もうこんなに支えてくれた人たちへ
ありがとう、という気持ちを歌で届けよう、
それしか頭にありませんでした。
時間が経たないと見えないこと、
分からないこと、たくさんあるけれど、
それが分かった時がまた何かのタイミングなのかもしれないです。
今日、若い時は自分のことで精一杯で、
見えていなかった沢山の人たちの優しさや努力に気付けたことは、
これからの私にとってとても大きな財産になるのだと思いました。
これでしばらくユニットDewは活動休止とさせていただきます。
いよいよここからが新たなスタート。
それぞれ、お互いの道を歩んで、
新しい世界を沢山開拓しようと思います。
これまでDewを支えてくれたみなさん、
本当にありがとうございました。
また明日からは子どもたちとの日々を大切にしながら、
来月の音楽会の準備に取り掛かりたいと思います!
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2017.2.15

「心のコップに注ぐ、愛のしずく。 」
 
最近、子どもたちを見ていて感じたことがあります。
それは、私たちはみんなそれぞれ
「心のコップ」を持っているんだなぁ、ということ。
 
 
それを自分で満たせるようになることが
もちろん一番なんだけど、
それは、人に無条件で満たしてもらうことを知って
できるようになるのかもしれない。
 
 
なんでも「自分で!自分で!」ということが増えた子どもたち。
 
 
それでも「やって〜」とせがんでくることや、
ちょっとぶつけたくらいで「なでで〜」とやってくることもしばしば。
 
 
本当の成長のベクトルは「自分でなんでもやりたい!」に
向いてるんだと思います。
 
 
でも、彼らはちゃんと心のコップも満たしてからでないと
本当の次へは進まない。
 
 
長男はこの1年半ほど、ずっとずっとうんちが
トイレができるようになったり、
できなくなったりを繰り返していました。
 
 
いよいよ幼稚園の入園も近づいて、
「そろそろやばいよ〜」と焦りかけていたけれど、
それでも、大人からすればたかがトイレ。彼にすればされどトイレ。
長男にとったら、なんでも「ちょっと待って」と次男を優先されてきた
ことへの小さな抵抗だったのかもしれない。
 
 
私もそれはどこかで感じていました。
 
 
だから私なりに気をつけてはいたけれど、
それでもやっぱり一人の時とは格段に、
二人っきりで向き合ってあげられる時間は減ってしまって、
彼は寂しかったんだと思います。
 
 
それで、先日2人きりでゆっくり散歩をしたりしたとき、
改めて長男に言ってみました。
 
 
「お母さんさ、何があってもいっつもKちゃんのこと見てるし、
心配なんかしなくていいよ。」
 
 
「そっか。」
 
 
足をバタバタさせて、
はにかみながら長男は返事しました。
 
 
そして次の日から、これまではなんだったの?
というように、長男は突然自分で
「うんちしに行く」と行ってトイレへ行くようになりました。
 
 
あ、彼のコップがいっぱいになったんだな、と思いました。
 
 
コップの大きさは人それぞれまちまちで、
それを比べることはできないと思います。
 
 
でも、子どもたちは一人一人ちゃんと心のコップを持っていて、
きっとお母さんや、彼らを大切に思う大人にしか満たせない部分というのが
あるんじゃないのかな。
 
 
それさえ満たされたら、自然に次のステージへ進んでしまう。
戻っておいでと言っても、もう戻らない。
 
 
同時に、身体だけが大きくなっていってしまって、
心のコップがすっからかんだと、
きっとあとから歪みが出てくる。
 
 
心のコップは見て見ぬ振りができない、
大事な大事な愛を入れる器。
大人になっても満たされていないことだってある。
 
 
だから、表面的にトイレに行けるようになったとか、
お着替えできるようになったとか、
そういうことももちろん大事だけど、
 
 
今この子の心のコップはどれくらい満たされているのかな?
と親のカンを使っていつも感じてあげたいなと思う。
 
 
しかも、このコップは、一気に注げるものではなくて、
ぽとり、ぽとり、とドリップコーヒーのように
注がれていく。
 
 
だからこそ、何気ない日常のなかで
ひとしずく、ひとしずく、
根気強く彼らの心に愛を満たしていこう。
 
 
そして、そのためには
親である私たち自身のコップが満たされていることも大前提です。
これがやっかい(笑)
 
 
でも、こうして自分を満たすことが下手だった私も
自分を満たすことを学んでいるんだろうなぁと思います。
 
 
子育てでもなんでもそうですが、
向き合うものに無駄なものは本当に何一つとしてないなぁと思います。
かみさまから与えてもらったそんな、オーダーメイドの学びを
大切にしていきたいです。
 
 

「本当の自由の持ち主」
最近、富山でもぽつぽつお友達ができ始めて、
子どもたちもいろいろなお友達と遊ぶ機会が増えてきました。
 
 
でも、どんな子たちともいつも楽しそうに遊ぶ子どもたちを見ながら、
なんだかとても大切なことを私は彼らから教えてもらっている気がして、
それがなんだろうってここのところ考えていました。
 
 
それで、ついさっき気づきました。
私が見習うべきは、彼らの心の中にある「自由」だと。
 
 
子どもの持っている「自由」というと、
学校に行っていない、とか背負っている責任がないとか、
そういうイメージが強いかもしれないけれど、
 
 
私が子どもたちに見た自由は、彼らの「心の自由」です。
 
 
それは、どれだけ外から物理的な強制されても
御構い無しで持つことができるものなんだってことを
彼らを通して気付かされました。
 
 
「これじゃなきゃダメ」
「こうでなければならない」
 
 
そんな風な小さな枠も、ぱくっと飲み込んでしまう。
ただただ受け入れてしまう。ブラックホールのように。
だから、枠なんてなかったことになってしまう。そして、
 
 
「これもいいし、あれもいいね!」
「これも楽しいし、あれも楽しいね!」
 
 
そんな風に自分の心や考え方に柵を立てずに、
目の前のものすべてに心からイエス!と言える。
そして外側だけではなくて、自分自身に対しても
腹の底からイエス!と受け入れている。
 
 
あぁこれが本当の自由だと思いました。
だから、彼らはどんな状態でも、誰といても、
いつも笑顔で、そして幸せそうで、
私まで幸せになるんだ。
 
 
私も、「ああじゃなくちゃ、こうじゃなきゃ」って思うたび、
そんな狭い考えより一回り大きな自分を想像して、
小さな自分を「細かいこといわずに、ね!」って笑いながら
肩組んで抱き込んでしまって、
どんどん、自分の中に自由を育てていけるといいな。
広げて広げて、枠なんて概念がなくなるくらいに。
 
 
大丈夫。いつか、そうなれる気がする。
だって、目の前には、小さな先生たちが今日も全身で
お手本を見せてくれてるから。
 
 
2017.2.12

「子育ては大変。それでいいんだ。」
この数日、久々に身体がデトックスモードでした。
ガクガク震えたりお腹が痛くなったり、
いろいろとありましたがおかげさまで峠は越えたようです。
 
 
ですが子どもたちといつも密着しているので
私の不調もちょっと子ども達におすそ分けしてしまったりして、
子どもたちもまだなんだか本調子ではない様子です。
 
 
こっちは胃腸を休ませてあげようとお腹に優しいものを、と
葛湯やなんやら作るのに、本人たちの食欲は相変わらず。
 
 
なんで病気の子どもに(しかも3歳と1歳)
1日3合もお米を炊く必要があるの!(笑)
 
 
そして、吹雪いている外を見て、
長男「おかーさん、雪だよ!お散歩いこー!」
次男「ばーーーーー!」
 
 
だから、吹雪いてるでしょ、
君たちお腹壊してるでしょ、
鼻水垂らしてるでしょ。
 
 
・・・そんなの通じるわけないか。
 
 
そして、寝る時はこれまた大変で、
卒乳したての次男、寝付くときに私の腕枕でないと寝ないんです。
すると、長男がやきもちを焼き、自分の方を向いて抱っこしてほしいとせがみます。
 
 
そして腕枕を同じようにしてやると、お腹をくっつけて寝たい、と
上に乗ってくる。
 
 
16キロ。お、おもい、、、。
 
 
そんな感じで朝起きれば16キロの長男は横には寝ているものの、
結局私の腕枕で寝ていたりして、
最近そのせいで腕がむくみ、
結婚指輪がなかなか抜けません(笑)
 
 
そんな諸々を書きながらふと思ったこと。
 
 
「子育てってめちゃ大変だ!!!!」
 
 
今更ですが、改めて、そう思いました(笑)
 
 
大の字になって眠ることもできなければ、
ゆっくりお風呂に入りたくたってお風呂は毎日プール状態。
ご飯は作ったそばからなくなって、
まるで食堂のおばちゃんにでもなったかのよう。(笑)
 
 
オムツを替えようと脱がせている間におもらしされて、
ようやく履かせ終わったかと思えば「ん、ん、」と
お尻を指さしてうんちが出たよと知らせてくる、、、
子どもたちと遊んだ後に外出したら、いつもどこかに
シールやマジックが付いていたりして、好きな服もおちおち着てられない。
 
 
大変なことは100でも1000でも挙げられるかもしれない。
でも、それでも楽しくないのか?といわれれば
それは違う。子育てはものすごく大変。だから、楽しい。
というのが本当のところかな。
 
 
楽しさにもいろいろありますよね。
私にとって子育ての楽しさは遊園地に行ってはしゃぐような、
パーティにいってキラキラした時間を過ごすような楽しさではありません。
全く、ありません(笑)
 
 
もっと泥臭くて、汗水垂らすような感じの、
登山のような楽しさ。
登山て、楽しいけどそれはしんどさも含めての楽しさ。
子育ても本当にそんな感じだなって思います。
 
 
でもこれまでなんだか「子育てが大変」て書くと、
子育ては楽しい!楽しい!と言っている人たちに
負けたような気がして嫌でした(笑)
というより、自分に負けた気がしていたのかな。
子育てを「楽しい!」と一辺倒に思えない自分はダメだって
どこかで思っていたのかもしれないです。
 
 
苦しいことも、時に自分を脇に置かないといけないことも、
母親なんだから喜んでできなければダメだって
思っていたんだと思います。
 
 
でも、やっぱり無理してる時もあるし、
好きなおかずをあげる時は食べるの大好きな私にとっては
苦渋の決断を迫られていたりします(笑)
 
 
でも、そんな風に自分の器の小ささを子どもを通して知って、
自分一人では広げられなかった自分という存在を少しずつ広げてくれて、
どんなに小さな器の時でも、変わらず、底なしの笑顔と愛情で包んでくれるのが
子どもたちです。
 
 
そういう意味ではやっぱりこれほど楽しくて幸せなことは
ないなと思います。
 
 
子育ては大変!それでいいんだ。
でも、楽しい。とっても楽しい。
 
 
両方、本当の気持ち。
嘘つかずに、認めてあげて、
目の前の子どもたちと真正面から体当たりして今日も生きていこう。
 
 
泥んこになって走り抜けた日々の方が
振り返った時に絶対愛おしく思えるはずだから。
 
2017.2.11

「頼ることは”ありがとう”を独り占めしないこと。」
 
いよいよ昨日から3月5日に富山で開催が決まった
「親子のための小さな音楽会」のチケット予約が始まりました。
 
 
イベントの詳細はこちらからもご覧いただけます。
とっても素敵な告知ページを作ってくださったので、
こちらもぜひご覧くださいね^^
 
 
A-PORTの山下さん、ありがとうございます!
 
 
そして、作っていただいたフライヤーもお家に届きました!
 
 
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これから子ども達と一緒に思いつく場所に配りに行こうと思います。
こんな風にフライヤーを作ってもらったことなんて
いつぶりだろうか・・・。
 
 
ここ数年は、かなりのことを何でも自分でやっていました。
それがいいことだと思っていたし、
できない部分があったら、それを出来るように努力するのが
「成長」だと思っていました。
 
 
それは、私ができない部分を認めることが
怖かったからなんだと思います。
できない部分がある自分が受け入れてもらえるかが
不安だったんだと思います。
 
 
でも、子どもたちと生活し始めて、気づいたんです。
 
 
子どもは始め何にもできなくて、
オムツを替えて、おっぱいをあげて、
お風呂に入れて、寝かしつけて、、、
私はそんな彼らを心から愛おしいと思うし、受け入れている。
もちろん、大変なこともあるけれど。
 
 
それに、友達から悩みを相談されたりしたとき、
私は「こんなことも一人で解決できないの〜?」なんて
思うかな・・・絶対思わない。
頼ってくれたことを嬉しく思う。
 
 
人に自分のできない部分を助けてもらうことは、
何にも恥ずかしいことじゃない。
助ける方にも喜びを与える行為でもあるんだ。
私は、それを独り占めしていたのかも。
 
 
頼って欲しいけど、頼りたくない。
感謝されたいけど、したくない。
それは甘えだから。
 
 
・・・でも、本当はそんなこと、ないんだよね。
 
 
もっともっと、「ありがとう」って私も言いたいな。
もっともっと素直に、「これ、教えて下さい」
「これ、やってもらえませんか?」って言いたいな。
 
 
そんな風に思うようになってきました。
そしたら、あれよあれよと言う間に色んな出会いが広がって、
始めは大学の同級生の実家がある、それくらいしか
つながりのなかった富山でイベントさせてもらえることになりました。
 
 
私のブログを見つけてくださって声をかけてくださったA-PORTの清水さん、
素晴らしい場所を提供してくれるA-PORTさん、
告知のページを作ってくださるデザイナーさん、
ワクワクする美味しくて素敵なサンドイッチを当日作ってくれる
お友達の針山佳奈恵さん、
 
 
私が一人で全部やるんだ!って背負いこんでいたら
絶対に出会えなかった人たちです。
 
 
みんながそれぞれの役割を持っていて、
その役割で誰かを助けながら、共に一つの何かを作り上げていく。
その役割としての自分を全うすることの方が、
できないことまで無理して一人で抱え込むよりももっともっと、
自分も、周りも幸せにするんだなって今更ながらに思います。
 
 
今、私の心の中には「ありがとう」がいっぱいいっぱい溢れています。
私が一番うまく伝えられる方法、それは音楽なんだと思います。
だから、3月5日は私の言葉で、私の歌で、
みなさんにありがとうが伝わればいいなと思います。
 
 
私が子育てを通して感じたこと、悩んだこと、
子育てを通じて自分と向き合ったこと、
子どもと歌って楽しかった歌、
そんな色んな気持ち、経験、を音楽という形を通して
お届けしたいと思います。
 
 
ちょっとの間、日常の慌ただしさから逃れて
子どもたちに「静かにしなさい」とたしなめることなく、
こんな風に隣に座ってごそごそするのも今だけなんだなーって
ちょっと離れて彼らを広い目で見守りながら楽しんでもらえる、
そんな音楽会にしたいと思います。
 
 
そして、歌が終わったら、ワクワクがたくさん詰まった
美味しいサンドイッチをみんなでいただきます!
 
 
 
 
ぜひみなさん、遊びにいらしてくださいね。
お待ちしています。
 
2017.2.4

「どれもこれも、大切な、私。」
自分の心の中を覗いてみると、
自分が生きてきたいろんな時代の、
色んな特色を持った自分が混在しているなぁと思います。
 
 
学校に行くまでの本当に純粋な自分や、
幼稚園や小学校、集団生活が始まって周りを気にし始めて作り上げた自分、
 
 
いじめや人とのトラブルを経験して出来上がった自分、
傷つくことを恐れて作り上げた自分、
傷ついても歩んでいこうと殻を破ろうとしている自分。
 
 
その時々で必死に自分なりの生き方を模索して、
作り上げられた色んな自分が私の中にいて、
ふと眺めてみたらまるで多重人格者のようです(笑)
 
 
これまで「自分」っていうのは更新されて行って、
上書きを繰り返しているような感覚でいました。
そして、その上書きというのは、
新しいなにかを身につければ消去されていく。
そんな風に思っていた。
 
 
でも、そうじゃないんだなって最近思います。
 
 
木の年輪のように、
私の生きた足跡は決して消えることなくそこにある。
 
 
「新しい自分になる」というのは、
新しい一面を上から見にまとっているだけで、
色んな、色んな自分を私たちは心のなかに今も、これからも
抱き続けて生きていく。
 
 
前を向こうと頑張っているのに、
くよくよした気持ちがむくむくと
沸き起こってくるとき、私は自分の気持ちを統一したくて、
 
 
「せっかく前を見ようとしているのだから邪魔しないで」と
弱気な自分を追い払おうとしていました。
 
 
でも、「本当に大丈夫?」「失敗したら怖いよ」と
しつこく言ってくる自分もまた、
人生のとある場面では私のことを守ってくれていた、
大切な自分の一面なのだと改めて気付きました。
かなり不器用だったけど、その時の私が作り上げた、大事な私。
 
 
それをポジティブに生きていくことを覚えた途端に、
「もういらない!あっち行って!」と
追い払おうとすれば、それは悲しい。
私は知らず知らずのうちに、過去の自分を傷つけていたことに
気がつきました。
 
 
過去の私に戻るのではなくて、
過去の私にも感謝を向ける。
ありがとう、あなたがいてくれてよかった。
あなたが私をここまで守ってきてくれた。
 
 
過去の私もまた、目の前の子どもたちと同じように、
ただ自分がいたことを認めてほしいだけ。
自分がここにいるんだよ、ということを知ってほしいだけ。
 
 
自分をありのまま愛するということは、
自分という木の年輪の外側だけを愛でるのではなくて、
普段は表には出なくなった、
ちょっと不格好な形をした層や、未熟だった層、
そんな色んな部分も含めて「可愛いヤツだなぁ」と
笑って抱きしめてやれることを言うんだろうな。
 
 
その不器用さも、いびつさも、私が生きてきた大事な証。
 
 
花びらが一枚では花になれないように、
きっと私という人間も、
これまでの私が花びらの一枚一枚となって
私という花になっているのだと思う。
 
 
だから、不器用な自分も、
ついついいい格好をしてしまう自分も、
弱い自分も、
全部大事な花びらとして、大切にしてあげたい。
 
 
同じように子どもたちも、
いろいろな性質の、いろいろな花びらを持ってる。
私たち親が選り好みするのではなく、
全部あって、この愛おしい一つの人格になるんだと、
まるっと認めてあげられるといいな。
 
 
 
2017.2.3

 


スケジュールを守ることよりも大切なこと。
先日、子ども2人をファミリーサポートのお宅に預ける予定だったのに、
いつもは喜んで出かける長男が突然、
「今日はいやだ、お家で遊ぶ」と言い出しました。
 
 
私はその5分後には用事があって、
もうギリギリだったけど、こんなことは初めてだったので、
急遽予定をキャンセルして、次男だけ預けて、
その時間をまるっと長男と2人だけで過ごす時間にしました。
 
 
公園で散歩して、二人でカフェでお茶を飲んで、
去年の11月に行ったインドへの旅以来、
長男と水入らずで過ごした数時間。
 
 
このところ、長男と一番うまく心が通じなかったけど、
それは彼と向き合うたびに私の心の中に怒りが出てきていて、
その怒りがなんなのか、私も掴み損ねていたからでした。
 
 
でも、二人だけで過ごしながら、
私はただ彼とゆっくり向き合ってあげたかったんだ、って思いました。
 
 
本当は向き合ってあげたいのに、
「この仕事が終わってから、あれが済んでから、
そうじゃないとあの人に迷惑が、この人を待たせてしまう」
と理由をつけて勝手に先延ばしにして、
おあずけをくらっている子どもたちがぐずると、
「どうして私はこんなに頑張ってるのにわかってくれないの!」と
苛立っていました。
 
 
そんなの子どもたちにしてみれば知ったこっちゃないのにね。
彼らにあるのは「今」だけ。
「あとで」もなにもないわけです。
 
 
でも、書き込んでいたスケジュールからはみ出しまくったあの日、
やろうと思っていたことは何にもできなかったけど、
それでも長男は「あー楽しかった!」と
笑顔で1日を終えて寝てくれました。
 
 
そしていつもならイライラしたり、
困ったなぁという気持ちになっているはずなのに、
清々しい気持ちで、ホッとして、
解放されたように感じたのは、
なんのこっちゃない、他でもないこの私だったのです。
 
 
あ、私も本当はこんな風に
彼らとただ過ごしてやりたいんだなって
シンプルな自分の気持ちにも気がつきました。
 
 
多分、あの日はみ出た仕事は後日大人として
ちゃんとこなしていけるだろう。
作品作りも、ちゃんとタイミングみてやっていけるだろう。
それはみんな、この目の前のちっちゃな先生たちが
笑顔でいてくれてこそ思い切り出来るんだ。
そんな風に自分を信じています。
 
 
スケジュール帳の中に書くことのなかった、
予定からはみ出た思い出。
 
 
それが子ども達と私の心の中に目に見えない宝物として
積もっていくのであれば、たとえ自分の決めたタスクが
こなせなかった日があったとしても、
私が一生を終えるとき、そんな思い出たちこそ、
私はどんな名誉や地位よりも尊いものとして、
誇るべきものとして胸に抱いて眠る気がします。
 
 
そういうものを大切にしながら
毎日を生きていきたいな。
 
 
 
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2017.2.2
 


「イライラ」の向こうにある気持ち
昨日、こんな記事を書いたのですが、
さぁ、いざ自分の弱い気持ちを表現しよう!と思ったら、
これがなんとポジティブなことはいくらでも書けるのに、
ネガティブなのこととなると、全く筆が進まないんです!
 
 
なんか不自然!!
私は自分でネガティブなことは「書かない」という選択肢を
選んできたと思ってましたが、そもそも「書けなく」なっていた。
そんなことに気づいてしまいました。
 
 
ポジティブな感情と同じくらい、ネガティブな感情だって、
私の心が感じたものなのに、私はいつの間にか自分の感情を
勝手に仕分けして、認めたり、認めなかったりしていたんだと思います。
 
 
自分の中では認めてきたつもりだっただけに、びっくりでした。
 
 
「書こうとしているのに書けない」、というのは、
私が心の中にある、ネガティブだって自分で思い込んでいる感情を
自分が味わうことをまだ許しきっていないことの表れだと思います。
 
 
でも、無視された感情はどこへ行くのかといえば、
消えるわけもなく、心の中に溜まっていた。静かに。静かに。
 
 
そして、その心の中にある私の純粋な気持ちは
「もうやめて!」「どうして気づいてくれないの?!」と叫んでる。
それが、「怒り」なんだと気付きました。
 
 
でもその奥をもっと探れば、
あの時や、この時、過去のいろいろな場面で私が確かに感じたのに、
感じたことを認めてもらえなかった「悲しさ」、「寂しさ」が
眠っていました。
 
 
抑えられないような衝動的な感情は、
心の奥からの本当のメッセージ。
 
 
子育てでも、子どもは私たちにいろいろな感情を湧き起こらせます。
私たちが自分の本当の気持ちを見て見ぬ振りすればするほど、
子どもはそこを揺さぶってきます。
それは、子どもは「本当の気持ち」そのもので生きているからです。
 
 
「疲れた」とか「眠い」とか、「もういやだ」とか
そんなこと言わずにやれ!って私は自分にかなり強いてきた。
いろんなことを。
 
 
一度きりの人生なんだから、立ち止まってる暇なんてないでしょ!って。
 
 
でも、一度きりの人生なんだからこそ、
立ち止まって感じてあげなくちゃいけないんじゃないのかな。
喜びも、悲しみも。同じ重さの大切な感情として。
 
 
私がそれをできたら、きっと子どもにもそうしてあげられる。
 
 
子どもたちは、こけたり、ぶつけたりすると
私に「なでて〜」と寄ってきます。
私は「そんなくらいで痛くないでしょ!大丈夫大丈夫」じゃなくて、
どんなに小さな時でも「痛かったね」って言うようにしています。
 
 
認めてあげる。
 
 
嬉しいことも。悲しいことも。
嫌なことも。ムカつくことも。
 
 
子どもにはしてあげているのに、
私は自分にあんまりしてあげられてなかったな。
それに気づいて「ごめんね」って、静かに一人で
自分に向かって心を込めて言っただけで、
きゅーっと硬くなっていた心がじわじわとほどけていくのを感じて、
子どもの気持ちも前より受け入れられるようになっていました。
 
 
自分を大事にしたら、
周りを大事にできるようになる、っていう本当の意味はきっと
こういうことなんだ。
 
 
もっともっと、自分の心に沸き起こる、
泡のようにたくさんの感情を、
大きな大きな手で、救って抱きしめてあげよう。
 
 
そうすると、「子育て」はもっともっと楽しくなる。
 
 
2017.2.1
 

「親子のための小さな音楽会」の歩み 
 
3月に富山で初めてのソロライブをさせてもらうんですが、
これは「親子のための小さな音楽会」というタイトルの、
小さなお子さん連れでも気軽に参加してもらえる音楽会です。
 
 
実はこのイベントは私が転勤生活を始める前の、
東京に住んでいた時から行なっています。
 
 
始まりは、2013年に出産を経験して、
音楽漬けの毎日を送って来た私にとって、
育児をしてから生の音楽に触れる機会が
すっかり減ってしまったのがきっかけでした。
 
 
ライブと言えば夜の公演がメインで人混みも多く立ち見です。
ライブ会場もお酒やタバコはセットになっている場所がとても多く、
なかなか子どもには厳しい環境。
それに、ライブの行われている時間帯って、
大抵が子どもがいるとお風呂にご飯に寝かしつけに、と
お母さんたちが世界で一番忙しい時間帯です。笑
 
 
仮に行けたとしても、
走り回ったりしないかな、騒がないかなってヒヤヒヤで
疲れてしまったりしました。
 
 
だから、純粋に自分も楽しめて、
子どもたちにとってもストレスフリーなイベントをしたいなぁと思っていて、
長男が一歳になったのを機に、東京で”Feel like home”という
企画し、開催したのがきっかけでした。
 
 
”Feel like home”というのは、お家にいるような感じで、
という意味なんですが、お家にいるような気持ちでリラックスして
子どもたちもお母さんも音楽を楽しんでほしい、
という思いからつけました。
 
 
そして福岡に引っ越してきて、
そんな思いは引き継ぎながら、もっとわかりやすい
「親子のための小さな音楽会」というタイトルに変え、
このイベントを続けています。
 
 
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(2016年親子のための小さな音楽会in福岡の様子)
 
子どもたちのゴソゴソする音、
歌っている最中に「おかーさんおしっこー!」とかいう声、
子育ての中にあふれていて、お母さんにとっては
時に雑音に感じてしまうそんな身の回りの音も、
実は「今」だけの音です。
 
 
大きくなってしまえば、
一緒に出かけることも減るだろうし、
そんな鈴の鳴るような高い可愛い子ども達の声も聞けなくなります。
 
 
だからこそ、そういう音も全部ひっくるめて
音楽と一緒に楽しめる、そんな音楽会にしたい。
そんな思いでこの企画を続けています。
 
 
もうすぐイベントの詳細が始まるので、
ぜひ、お近くの方はお子さんやご家族みんなで
遊びに来てもらえると嬉しいです。
 
 
私もここからどんな風な時間に作り上げていこうか、
あれこれ楽しみながら練っていこうと思います。
 
2017.1.29 

 


「小さな積み重ねはいつか必ず実を結ぶ。」
最近は、3月と4月に予定されている富山でのライブの準備や
レコーディングの準備に追われています。
 
 
あぁようやくもう少しで告知できそうです…!!
ここまでこぎつけることができて本当にいろんな人たちに
感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 
知り合いが1人もいないところから、
全てを開拓していくのって、とても楽しい反面、
正直とても心細くて、いつも何度か心折れそうになります。
 
 
でも、そこで引きこもるのではなくて、
たとえどんなに小さな行動でもいいからコツコツと起こしていく。
怖くても、失敗してもいいから動いていく。
その積み重ねがある日必ず実を結ぶということを、
この転勤生活を通して私は学びました。
 
 
そうしてできた小さな出会いが新たな出会いを呼び、
今回もこうしてライブ開催が決まりました。
 
 
上の写真は先日の打ち合わせにて。
お声をかけてくださった、A-PORTの清水美貴子さんと。
 
 
3月のライブは親子向けの音楽会を予定しています。
そして4月は久々にバンドでする予定です!
 
 
今回はどちらもA-PORTさんという素敵な場所とご縁をいただき、
公演させていただくことになりました。
こちらは、お家作りを通して日々の生活を豊かにすることを
メインとされています。
 
 
敷地内にあった昔からの古い小屋を、富山の人たちが笑顔で集い、
日々を豊かに彩れる場所にできないだろうかという思いから、
昨年の6月にオープンされました。
 
 
A-PORT
 
 
今も、お子さん連れのイベントや、様々なワークショップが
たくさん行われています。
これからは土曜日にお食事ラボというカフェも始まるようです。
 
 
私が音楽やヒーリングを通して抱いている想いを汲んで下さって、
お声をかけてくださいました。
そんな場所で、富山の子育て中のお母さんたちや子供たちの笑顔をつくる
お手伝いができること、とても嬉しく思います。
 
 
 
 
 
 
そして、これまた素敵なお友達が軽食を担当してくれることになって、
そちらもワクワクしています。
 
 
これもまた追々ご紹介しますね!
 
 
もうすぐ告知が始まるので、もうしばらくお待ちください^^
お子さんも、お母さんもみんなで楽しめる
アットホームな会にしたいと思っています。
みなさんのお越しをお待ちしています!
 
 
これを読んでくれているみなさんの日々の中にある小さな積み重ねも
いつか実を結びますように。一緒に実らせましょう。
 
 
私もまだまだスタート地点にも立っていないので、
コツコツと、歩き続けます!
 
 
同じ空の下でお互いが、たとえ小さな一歩でも
踏み出し続けられますように。
その小さな一歩は、
必ず私たち一人一人の人生のかけがえのない足跡になるから。
2017.1.27
 

「自分の中にある闇を認める」
最近、新しい曲を書いています。
 
 
ここ数年は、辛いなかにも光とか、希望とかを見つけて、
それをとにかく表現していきたいって思っていました。
実際、これまでの自分の悩みごととかには、
それなりの落とし所が見つかって、
本当に落ち込むこと自体もうんと減りました。
 
 
でも、歳を重ねるごとに悩み事の種類も変わるし、
すぐには答えも見つからない。
まだとりあえずの着地点しか見出せていないものもあります。
 
 
シンガーソングライターとして、
自分を音楽を通して表現しているけれど、
いま、光だけではなくて、その光の反対側の部分も
自分らしい表現方法を見つけていきたいな、と思うようになりました。
 
 
だから、まだ結論が出ていないそのトンネルの中にいる気持ちを
今自分なりに表現できないかと試行錯誤しています。
 
 
すぐにはたどり着かないけれど、
コツコツと、自分の心を掘っていったら、
きっと何かヒントになるものに出会えるのだと思います。
 
 
最近は、そんなことを考えながら雪かきをしています。
まるで、自分の気持ちを掘り当てているかのようです。
 
 
でも、そんな落とし所のない気持ちそのものを、
今回は歌にしてみるつもりです。
どうなるかな?
3月のコンサートでは歌えるといいなと思っています。
 
 
たとえ後ろ向きの気持ちや、やりようのない気持ちさえ、
メロディに乗せてしまえば、昇華してくれることがある。
音楽って、神さまが与えてくれたすごいプレゼントだなぁと
つくづく思います。
2017.1.24 

 


 

「心の奥にある好きを思い出す」

 

今から25年近く前、小学校に入学したときに

「みんなのうた」という童謡や唱歌、中には外国の曲などが載った

歌謡集が配られました。

 

 

今とは違って肩より髪が長かった当時の私は、

毎日夜になると鏡台の前で母に髪を乾かしてもらっていて、

その時には決まってこの「みんなのうた」を母と歌うのが日課でした。

母は私の歌にハモり、私はつられないようにメロディーを歌う。

いつしかその逆ができるようになり、私はハモる楽しさを

この辺りで覚え始めました。

 

 

10年活動してきたユニットでもコーラスをずっと担当していたのも

実は元をたどればこの母との歌の時間から来ています。

 

 

そのあと、この「みんなのうた」は実家の立ち退きなどで

引越しを繰り返したりしているうちになくしてしまい、

あれから何度か似たような歌謡集を探したけれど見つからずにいました。

 

 

それが、昨日友人に誘ってもらい地域の子どもの合唱団の練習に

見学に行った時に、あの「みんなのうた」が配られたのです!!!

 

 

タイトルは「歌はともだち」と変わっていましたが、

サイズといい、内容といい、まさに25年前の私が

毎日よれよれになるほど使っていたそれでした。

 

 

そして、中に入っていた懐かしい曲たちを歌っているうちに、

自分の中の心の奥にあった、蕾のようなものが

ふわぁっと嬉しそうに開いていくのを感じました。

 

 

自分の本当の気持ち、というのは、触れた時にこんな風な

感覚になるのだということを、私は改めて気づいた気がします。

 

 

そして裏を返せば、

最近の私はそこにしっかりと触れてあげていなかったのだな、

とこの久々の感覚を味わいながらはっとしました。

大事にしてきていたつもりだったけど、

まだまだそれは表面なもので、「誰かのために」とか「周りの目」とかが

少なからず影響していて、

もっとその奥に、損得勘定を抜きにした、

純粋な私の本当の本当の気持ちが眠っていました。

 

 

帰ってきてから、その本を眺めるたびに、

当時のこと、自分が子どもの頃に好きだったこと、

いつも一緒に寝ていたぬいぐるみ、

大好きだったキュロット、

小さないろんなことを思い出しています。

きっと、これが私の中に今もまだある、本当の本当の気持ち。

混じり気のない素の私なんだろうなと思います。

 

 

そして、何よりもその中の歌を歌うたび、

私の心が喜びます。

 

 

私は本当に、歌が好き。

 

 

この気持ち、ライブや作品作りを通してもちろんこれからも

大事にしていこうと思っていますが、

同時に、もっと「歌う楽しさ」をみんなと共有出来る時間を

作りたいな、と思いました。

 

 

富山にいる間にどこまでできるかわからないけど、

考えつくことをやってみようと思います。

 

 

この雪深い冬だからこそ、歌は心を温めてくれる。

楽器もなくても、この声があれば、なんでもできる。

お母さんの歌声って、どんな素晴らしい歌声よりも

子どもを安心させるもの。

 

 

それに、楽しんで歌う子どもたちの歌声もまた、

私たち親にとってこの上ない心を清めてくれるものだと思います。

 

 

一人ひとりが神様から与えてもらった「声」という素敵なプレゼントを

みんなで生かして楽しむためのお手伝いも

これからなんらかの形でしていけるといいなと思っています。

また一つ目標が増えました。

 

 

とりあえず、

この本をヘビーローテーションで歌いまくります(笑)

 

2017.1.23 

 


 

「コケてもケッコー!」

 

さっき家に来ていた回覧板に

近所の小学校のお便りが入っていました。

さっと目を通したら

 

 

「コケてもケッコー!色んなことに前を向いて挑戦しましょう」

と書いてありました。

 

 

酉年だけに!(笑)

 

 

大事ですよね!!

 

 

コケても別に大丈夫。

また起き上がればいいだけ。

当たり前だけど、意外と難しいですよね。

それはきっとコケる=失敗=ダメなことっていう方程式が

心のどこかにあるからだと思います。

でも、そこを取り除いて受け入れないと、

そこから前に進めない。

 

 

本当の失敗って、表面的な失敗を

受けいられないところにあるんだろうなってすごく思います。

 

 

とはいえ、そんな私もコケちゃいけないって思ってる自分を

まだ感じることはあります。

感じるだけで実際はずっこけながら生きているんですが(笑)

 

 

そういえば、

冬になってからこれまでにないくらい朝起き上がられなくなって、

やりたいことが全然できなくて困っています。

普段の自分の6割くらいしか動けていない^^;

 

 

そして昨日インターネットを見ていたら

同じような人が「冬季うつ」かと思って病院に行ったら

「冬眠です」と言われた話が書いてありました(笑)

 

 

確かに、冬眠しているクマが

「エサ取らなきゃ」とか焦っているところは

見たことがないな〜(笑)

 

 

「じたばたしない」というのは実は

一番近道なんだろうなぁと改めて思いました。

 

 

「コケてもケッコー」も、同じようなことで、

多分、コケても焦らず、動じず、

ただ起き上がってまた進めばいいだけ。

こうやって書きながら、今、

思うように動けない自分を受け入れようとしているところです(笑)

 

 

書きたいことがいっぱいありすぎて、

全然追いついていませんが、

今までと全然違う暮らしの中で迎える初めての冬なので、

いろいろと身体も心も調整中なんだと思います。

 

 

アクセル踏みたいけれど、

もうちょっと春が来るまでセーブしながら

過ごしてみようかな。

 

 

その中でも感じたこと、

またメルマガでも時間が作れて起きれるようになったら

ぼちぼちシェアしていきますね!(笑)

 

 

ではでは、今日も素晴らしい一日になりますように!

 

2017.1.21

 


「心の翼を広げて風に乗る」
雪解け水が雨樋を伝う音が
そこかしこで耳をくすぐります。
 
 
まだしばらく続く寒い冬の小休止。
 
 
久々の青空とあたたかいお日様に
家の中の植物たちも目を覚まし、
年末に友人がくれた寒椿もようやく咲き始めました。
 
 
てっきり紅色の花を咲かせるかと思いきや、
綺麗なクリーム色の花で、
その前を通るだけで心が華やぎます。
 
 
苔玉をもらったんですが、
生花とはまた違った、「育てる」という
楽しみも一緒にくれた友人にありがとうと
改めてお礼を言いたくなりました。
 
 
そのあと、外に散歩に出かけたら
ようやく川沿いの道の雪が溶け始めていたので
真っ白な河原を眺めながら土手を歩きました。
  
すると鳶が羽ばたかずに翼を広げて音もなく空を舞っていました。
 
 
鳶が乗っていた風のように私たちの周りにも目に見えないけれど
自分を守り、支えている風があるんじゃないのかな。
 
 
じたばたと闇雲に羽ばたくのではなくて、ただ信じて、心の羽根を広げれば
私たちも行くべき場所に飛んでいける、なんだかそんな気がする。
 
 
もちろん努力は必要だし、行動も必要だけど、
 
 
それでも、私たちは自分の羽ばたくべき場所へ連れて行ってくれる風に包まれて、
本当は、いま、この瞬間も生きているんだと思う。
向かい風に感じる時も、大きな、大きな追い風が私たちを包んでる。
 
 
ただ、生まれた時からそこに「ある」から気付かないだけで、その風を感じて、その風が誘う場所を信じて、
思い切り心の羽根を広げてみれば、鳶のように、流れに乗って遠いところまで、行ける気がする。
 
 
想像もできないところまで、行ける気がする。
そして、そこへ行くために、きっと私たちは生まれてきた。
 
 
だから一度、その風からはぐれてしまっても、
また空高く両手を上げて、「わたしは、ここにいます」と風を呼べば
決して風は、私たちを見捨てたりはしないと思う。
 
 
大事なのは、心の翼を広げる、ほんの一握りの勇気。
2017.1.20

 


「理想」や「夢」が苦しくなったら。

 

 

理想って、自分を押し上げてくれる。

 

 

「こんな風になりたい」

「あんな風になりたい」

 

 

理想は、そんな希望や夢とつながっているから、

未来へ歩みを進める力になってくれる。

 

 

でも、それが「こんな風になれてない」「あんな風になれてない」

 

 

 

 そうやって、自分を認めてあげる事をいつまでもおあずけにして、大事ないまの自分を否定しつづけて

「いつか」に先延ばししてしまうものになってしまうと、たちまち苦しくなる。

 

 

私がもし、いま思い描いている自分になれたとしても、

理想に達した私はきっと次の理想を探して、またそこに向かって歩き始めると思う。

 

 

だから、ゴールにたどり着くのは、人生のほんの一瞬であって、

それはまた新しいスタートの始まりだ。

 

 

人生って、自分の描く何かに向かって歩き続けている道中そのもの。

 

 

だから、理想っていう夢や希望を描きながらも、

「こんな風になれてない」自分や、「あんな風になれてない」自分も

いいとか悪いとかではなく、ただそうであることをありのまま、すっぽりと、無条件に受け入れよう。

 

 

それでようやく私の心は「いま」に足を下ろす。

 

 

「こんなはずじゃない」とか「あんなはずじゃない」と思うときも

そう思ってる自分をただ受け入れよう。

 

 

そうやって、それを繰り返していくうちに、あるときふっと、

何もない広場のような、青空だけが広がっているような、自由な空間が心の中にあることに気づいて、

 

 

ただ「わたし」であることがすっぽりと、受け入れられる場所が、

自分の中にも、外にもある事を知る。

 

 

自分を許せないときときは、「許す」とか「許さない」とかいう判断の前にいる、

目の前にいる、素のいまの自分を抱きしめよう。

 

 

その自分は、生まれてから、死ぬまで、いや、ひょっとしたら死んでも

ずっと変わらない、本当の、本当の、自分だ。

 

 

2017.1.19

 

 


「幸せを数えよう。」

 

このところの大雪で、

すっかりいつが朝の始まりなのか

わからなくなっていましたが、

 

 

数日ぶりに、お部屋に朝日が差し込んできました。

思わず寒いけれど窓を開けて、しばらく眺めていました。

 

 

それだけで、今日は私は幸せでした。

 

 

お正月で食べ過ぎて太ってしまって、

もうすぐ人前に出るのにやだなーとか、

また今日も寝坊しちゃったとかいろいろあるけれど(苦笑)

 

 私は幸せだなって思いました。

 

 

幸せそうな人もいつもニコニコ笑っている人も、

不幸そうな人もいつもイライラしている人も、

 長い、長い目で見れば、きっと同じくらいのいい事と悪いことが起こってる。

 

 

足元に落ちている石ころを見て、

「こんなところに落ちてるなんて、歩きにくい」って思う人と

「こんなところにこんな石があった、綺麗な形だなぁ」って思う人といる。

 

 

幸せな人と、幸せでない人は、

きっとただ、それだけの違いなんだと思う。

幸せは、なるものではなく、誰にでもあるものだから。

 

 

大学の時に受けた哲学の授業で、こんな話がありました。

 

 

「ある」とか「ない」とかいう議論をする時点で、それは「ある」からできるんだ。

なければ私たちの意識の上にものぼりはしない。

 

 

だから、「幸せなんて、ないよ」って言っているってことは、幸せがどんなものか、知っている。

私たちの心の中には幸せが、ある。

 

 

別に、自分に嘘をついて順風満帆に生きているように振舞わなくてもいいと思う。

私なら私なりの、あなたならあなたなりの小さな幸せを

 

 

たとえ辛い日々の中にあっても毎日ひとつ、見つけられたなら、

その幸せを感じて心に「ありがとう」という気持ちが芽生えたなら、

それは必ず積み重なって大きな幸せになる。

 

 

だから今日も、幸せを数えよう。

 

 

2017,1,18

 


 

「落ち込んだ時の対処法」
落ち込んでいる時って、世界が急に色褪せてしまって、
自分が置いてきぼりにされたような気持ちになります。
 
 
そういう時の恐怖とか不安て、すごいですよね。
胸が締め付けられそうになる。
昔、私はどうやってそんな感情たちから逃げ出せばいいのか、
本当にわかりませんでした。
 
 
でも、ふとした時に手に取ったある本を読んで、
落ち込んだり、悩んだり、することは心の風邪のようなもので真実ではないんだということに気がつけました。
 
 
そういう状況のもっと向こうにはいつも変わらない「わたし」がいる。
そして、何の裁きもない静かで確かな世界があるって。
本当に落ち込んでいる時は、なかなか腑に落ちませんが、
頭でそうやって理解できただけでもずいぶん救われました。
 
 
うれしい、かなしい、つらい、むかつく。
 
 
私は「感情」っていう色眼鏡を通してしかこれまではこの世界を見ていませんでした。
だから、自分の心の状態によって、
世界がキラキラしたり、暗闇になったり、本当に忙しかった。
 
 
嬉しい時も、次にまたいつ落ち込むことが起こるのか不安で仕方がないし、
少し落ち込んでもどこまでも底なし沼のように落ちていくんじゃないか、
もう這い上がってこれないんじゃないか、
そんな不安でいてもたってもいられなかった。
 
 
でも、「感情」という色眼鏡に隠されているときも、
この世界には、私たち一人一人の居場所が必ず、ある。
自分だけの居場所が、絶対にあります。
自分だけの生きる道、というものが。
 
 
そしてそれは、私たちが落ち込んでいる時も、
悩んでいる時も、ずっと私たちに気づいてくれているのを待っています。
 
 
私は落ち込んで、落ち込んで、落ち込み抜いたときに、それにふと出会えました。
 
 
こんなに遠回りしたけど、私が生きる道はちゃんとここに、この足元にあったんだ。
こんな自分でも、ちゃんとまだ道はあったんだ、
自分がちゃんと気づいてあげていなかっただけだって目が覚めました。
だから、この自分に与えられた居場所を大切に
耕していこうって思えるようになりました。
 
 
とはいえ、私が全く落ち込まなくなった、というわけではないです。
でも、落ち込み方は変わりました。
 
 
ちょうど、先週くらいかな、久しぶりにすごく落ち込みました。
突然なんだか不安になってしまって、
自分におけるいろんなこと全部が自分で許せなくて、
そんな自分をまた許せない、というループに入っていました。
 
 
でも、夫にふと「そんなに頑張りすぎなくていいよ」って言ってもらえたり、
子どもたちに「お母さんなんか元気ないねん〜」と言ったら
「がんばれがんばれおかーさん!」と半ば強制的に励ましてもらったりして
自分の心が這い上がるまで自分を信じて待てるようになりました。
 
 
そしたらいろんなメッセージがそこかしこからやってきて、
私はやっぱり守られているんだな、ありがたいなって落ち込んだことで改めて気づけて、
数日くらい前からまた元に戻り始めました。
 
 
でもこんな風に「助けて」って素直に言えないときもあります。
そんな時は、祈るようになりました。
そしたら誰かが必ず助け舟をくれます。
本当にいろいろなところから。
人だけではなく、自然や、偶然手に取った本、
本当にいろいろなものから。
 
 
本当はそんな落ち込んだ時の自分も
もっとうまく表現できたらいいのかもしれないけれど、
今はまだ私の中で悲しみを悲しみのまま表現して、
共有することにあまり意味を見いだせません。
 
 
悲しみや苦しみを否定するのではなく、
そんなときでもその向こうにある、確かな「何か」を
今は音楽を通しても、
このブログを通してももう少し表現し続けたいなと思っています。
 
 
もしちょっと眩しすぎたらごめんなさい。
もしちょっと嘘っぽかったらごめんなさい。
 
 
でも、これが、今の私なのかな、と思います。
コメントをいただいたので、
今回はちょっとそんな自分の陰の部分?も
お話してみました。
 
 
富山は日照時間が短いので
東京の冬よりは落ち込みやすそうです。
でも、そんなことも全部含めて、こちらの人は
自分の生まれた土地を愛していて、素敵です。
 
 
自分たちを楽しませる方法をたくさん知っているし、
上手にこの土地と付き合っています。
この冬はそんなところを富山の人たちから見習おうって思ってます。
 
 
2017.1.17

 

「世界と関わるための、あなただけの扉がある」

 

いよいよレコーディングの準備が整ってきたので、

レコーディングする音源の練習をコツコツ始めています。

 

 

機械には弱いけれど、

レコーディングをするとなると、

多少機械にも詳しくならないと事が運びません。

 

 

運動は苦手だけど

腹筋つけないと歌えなくなるし、

身体のために料理も頑張ったりすることもあるし、

 

 

そうやって私は音楽を通して、

世界と関わっていくんだろうな。

音楽は自分だけだったら決して触れなかった世界、

関わろうとしなかった世界と自分を繋げてくれます。

 

 

そういう意味では子育ても、その一つかもしれません。

子ども達は世界と関わる私そのものを変えてくれた大きな存在。

 

 

 

人は、そんな風にきっと、一人一人、それぞれに合った、世界と関わるための自分だけの「扉」を持っているんだと思う。

それが「使命」とか「個性」とか、いろいろな名前で呼ばれるんだろうなと思います。

 

 

自分の扉がまだわからなくても、あれでもない、これでもない、そうやって探している最中でさえ、世界はどこにも逃げていかない。

 

 

私たちの事をずっと、ずっと待っててくれている。だから、諦めずに探し続けていけばいいだけです。

 

 

私もまだ探しています。

もっともっと広く、大きく開かれた扉があるはずだと。

 

 

そして、それは生きている限り、その扉はもっともっと開ける事が出来るはずです。

自分の手で。自分を信じれば信じるほど。

 

 

探しているあなたも、見つかっているあなたも、

その扉から見える景色が今日も1日、どうか素晴らしいものでありますように。

 

2017.1.12