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ぼくが生まれ変わっても

最近、もうすぐ6歳になる次男は

「はじめのはじめ」を知りたがったり、

「死んだあとの世界」など、

「おわりのむこう」を知りたがります。

 

「人間はお父さんとお母さんからできたけど、そのお父さんとお母さんは?

ずーっとずーーーーっとその前は人間てどこからできたの?」

 

とか、

 

「死んだ後の世界には地獄ってあるの?」

 

とか。

 

彼は昨年の年末に私の祖父である彼のひいおじいちゃんを看取りました。

初めての身近な人の「死」でした。

 

少し時間がたった今、彼はそれを思い出しているのかもしれません。

冷たくなっていたおじいちゃんが、骨になってできたこと。

それは、次男にとって「こわい」ことだったみたいです。

 

私も父を今の次男と同じ歳で亡くしているから、

手に取るようにその気持ちがわかりました。

 

分からない世界に対する不安。

いつか自分もそうなるという不安。

 

寝る前にそんな話になって、8歳の長男も加わると、

「そういうこと本気で考えたら怖くて眠れなくなるよ」と

彼も言っていました。

 

そうだよね。こわいよね。

 

私だって自分が今世まだ死んだことがないから実際のところはわかりません。

想像でしかないけれど、でも昔のように死ぬことが怖いことで、

恐ろしいこととは余り思わなくなりました。

 

でも今の子どもたちは、「死ぬ」ということが

好きな人たちとずっと会えなくなること=悲しいこと

そんな風に感じています。

 

だから、私は子どもたちに

 

「死ぬっていうことは、カブトムシとかの脱皮みたいなものだと思うよ」と

伝えました。

 

「お母さんはみんなの胸の中にある「こころ」はずっと死んでもあると思ってるよ。

でも、それが身体の中から出て行っちゃう。

だけど、その分もっと近くでいつも見守ってくれるようになると思うよ。

そして、またいつか神様と話し合って、身体の中に戻りましょうってことになったら

新しく生まれてくるんじゃないのかな。」

 

そんな話を子どもたちとしていたら、

次男が

 

「そしたらぼくまたお母さんに会える?

ぼく、またお母さんの子になりたいよ!

お母さん、僕にまた同じ名前つけてくれる?」

 

と目に涙を溜めながら、

でも泣いているのは隠しながら、努めて明るい声で私にそう言いました。

 

3人のうちで一番揉めた子で、一番「嫌い」という言葉をかけられたのが次男でした。

だから、私はどこかで次男が私のことをどう思ってくれているんだろう?って

ちょっと自信がないところが正直ありました。

 

だから、この言葉を聞いた時に、

そんな風に少しでも次男を疑っていた自分を情けなく思いました。

こんなに迷いなく言ってくれたことが素直に嬉しかったです。

 

もう一度こんな関係で会えるかは私も分かりません。

でも、次男には思わず、

「うん、また必ず会えるし、これからもずっと一緒だから

何にも怖がらなくていいんだよ」と言っている自分がいました。

 

私たちはどれだけ生まれ変われても、「今」をやり直すことはできません。

 

だからこそ、この今という時間がどれほど愛おしくて、

どれほどのギフトなのかを、

次男の一言で改めて気づかせてもらいました。

 

子どもたちの母親になれたこと。

子どもたちが私を母親に選んでくれたこと。

無事に、生まれてきてくれて、今日まで育ってくれたこと。

そのひとつひとつがこの上ない奇跡で、

祝福だということに、改めて気づきました。

 

そして、最後に次男と、

「私たちには生きている人、天国へと行った大切な人たちの心が

いつでも私たちのそばにあるから、ありがとう、って心の中で伝えたら、

必ず届くんだよ」と話をして、

 

彼が昔通っていた園で毎日帰る前に唱えていたお祈りを二人で

唱えて眠りました。

 

これがその祈りです。

 

「頭から足の先まで私は神様の姿です。

 

心から手の先まで私は神様の働きを感じます。

 

私が口を開いて話すときに、神様の意志に従います。

 

どんなものの中にも、お父様やお母様や全ての愛する人の中にも

 

動物や草花や木や石の中にも神様の姿が見えます。

 

だから怖いものは何もありません。

 

私の周りには愛だけがあるのです」

 

ールドルフ・シュタイナー 「幼児のための祈り」

 

 

子どもたちがこれから生きていく中で、

裏切りや、悲しみに遭遇することがあっても、

いつでも原点にある私や家族との関係が、

彼らを守り、導いてくれることを願います。

 

そして、そんな今の私の願いが、子どもたちに託されて、

いつか彼らの子ども達にも引き継がれていきますように。

 

そのためにも、子どもたちのこのキラキラとした眼差しを大切に受け止め、

彼らとの日々を丁寧に紡いでいきたいと思います。